20240306水曜祈祷会
聖書:エズラ7:10
題目:律法学者エズラ
賛美:401、405、436、449
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
1.画竜点睛 ― 外側だけでなく中身が必要(Slide1)
(1)画竜点睛の由来
「画竜点睛(かりょうてんせい)」とは、500年ごろ中国の画家・張僧繇(チャン・センヨウ)が安楽寺に四匹の竜を描いたという故事から来ています。
彼が描いた竜には瞳がありませんでした。そこで人々が「瞳を描いてほしい」と願い、二匹の竜に瞳を入れると、その二匹は天に飛び立ったと言われています。
(2)画竜点睛の意味
古代ギリシャでは「魂は心臓に宿る」と考えられ、ユダヤでは「喉」、現代では「脳」に宿ると考えられていますが、共通しているのは「目は魂の窓である」という理解です。
どれほど立派なものを作っても、魂が入らなければ意味がありません。
物事を完成させるための最後の仕上げ、それが「画竜点睛」です。
外側だけでなく、中身が必要であるということを、今日は覚えたいと思います。
2.律法学者の必要性(Slide2〜3)
(1)エズラ記1〜6章の背景(Slide2)
ペルシャ王クロスの命令と支援により、エルサレムの神殿再建が始まりました。
総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアが約5万人を率いて帰還し、サマリヤ人など外部からの妨害を受けながらも、ついに神殿は完成しました。
(2)エステル記の出来事
その後、ペルシャ王アハシュエロスの時代に、エステルが王妃となります。
ハマンの策略によってユダヤ人絶滅の危機が訪れますが、モルデカイとエステルの勇気ある行動により、ユダヤ人は救われました。
(3)エズラ記7〜10章(6章から57年後)(Slide3)
ペルシャ王アルタシャスタの命令と支援により、今度は「律法の再建」が行われます。
律法学者(書記官)エズラが約5千人を率いてエルサレムへ帰還しました。
この時の問題は、外部の敵ではなく、ユダヤ人内部の腐敗でした。
そこでエズラは、律法を教える働きを担いました。
(4)エズラという人物
エズラという名前は「助け」という意味を持ちます。
捕囚の地では祭司としての務めができなかったため、祭司たちは会堂で律法を教えるようになりました。エズラもバビロンで律法に精通した学者となりました。
「書記官(サファール)」とは、「正確に数える・記す・考える・語る」という意味を持つ言葉で、律法学者を指します。
エズラが他の祭司たちと違っていた点は、
「主の手が彼の上にあったので、王に重んじられていた」(エズラ7:6)
という点です。
なぜこの時代、総督でもなく、祭司でもなく、預言者でもなく、「学者」が必要だったのでしょうか。
エズラがエルサレムでした三つの働きを通して学び、現代教会に必要なことを考えていきましょう。
3.エズラの三つの働き(エズラ7:10)
(1)律法を調べる ― ダレーシュ(Seek)(Slide4)
律法はすでに与えられていました。それでも、なぜ「調べる」必要があったのでしょうか。
エズラは「心を備えて律法を調べた」と書かれています。
律法を調べるためには、心が必要です。
なぜなら、律法の中にある神様の心を見なければならないからです。
神様の心を見失った結果、民は神から離れ、バビロン捕囚に至りました。
エズラは律法の中にある神様の心を探し求めました。
私たちが旧約聖書を学ぶ理由もここにあります。
神様は律法を通して、ご自身の心を知ってほしいと願っておられます。
(2)律法を行う ― アサーッ(Do)(Slide5)
律法は知識として知るためのものではなく、行うために与えられました。
守らなければ、律法は意味を持ちません。
しかし、ただ形式的に行えば良いのではありません。
心をもって行うことが必要です。
「主は心を探り、思いを調べ、それぞれの行いの結ぶ実によって報いる」
(エレミヤ17:10)
神様は、私たちが律法に詳しくなること以上に、律法を行おうとする心を求めておられます。
悪魔でさえ、人間以上に神様を知っていますが、滅びることが定まっています。
神様は、口先だけでなく、行動に現れる心を望んでおられます。
(3)律法を教える ― ラマード(Teach)(Slide6)
律法を教える目的は、ただ礼拝に集まらせることではありません。
心から礼拝を捧げるためです。
また、人々に教えるのは、互いに支え合い、次の世代にも心からの礼拝を伝えるためです。
神殿だけでは十分ではありませんでした。
最初は良くても、祭司やレビ人さえ律法を破るようになり、信仰が次の世代に受け継がれなかったのです。
神様は、私たち一人ひとりだけでなく、次の世代にもご自身を知ってほしいと願っておられます。
4.真の礼拝に必要なもの ― 聖書研究(Slide7)
神殿という建物があっても、宗教生活はできても信仰生活はできませんでした。
礼拝は人間の目的ですが、礼拝だけではその目的を守ることができません。
律法学者エズラが選ばれたのは、
律法を調べ、行い、教えることを通して、神様の心を知り、心から捧げる真の礼拝を回復するためでした。
(賛美436)
私たちは自分の努力や能力によって永遠の命を得たのではありません。
今日も明日も生きられるのは、100%神様の愛によるものです。
だからこそ、私たちがすべきことは、
神様の思いを探し、行い、教えることです。
5.律法学者以上の存在 ― イエス(Slide8〜10)
(1)御言葉を探しなさい(Slide8)
イエスは言われました。
「求めよ、そうすれば与えられる。捜せ、そうすれば見いだす。門をたたけ、そうすれば開かれる」
(マタイ7:7)
探すべきものは、この世のものではなく、神の国の福音です。
神様は、福音の中にある父なる神の心を知ってほしいから、探し続けなさいと言われます。
(2)御言葉を行いなさい(Slide9)
「人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」
(マタイ7:12)
これはイエスの律法です。
人が本当に必要としているもの、それは死の問題を解決する福音です。
受けることではなく、与えることが、神の国の民の本質です。
(3)御言葉を教えなさい(Slide10)
イエスは律法学者たちのようではなく、権威ある者として教えられました(マタイ7:28–29)。
それは、神様の心を無視せず、神様の思いをそのまま伝えられたからです。
教えるのは、次の世代に信仰を受け継ぐためです。
弟子たちは、聞いて終わりではなく、伝える者となりました。
6.まとめ
(1)エズラとイエス
エズラもイエスも、
神様の思いを探し、行い、教えました。
聖書の言葉は、神の国の法であると同時に、
神様から私たちへのラブレターです。
私たちも、エズラやイエスのように、
神様の思いを探し、行い、次の世代へと伝える存在となりましょう。


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