20240310青年部礼拝
聖書:ルカ19:1–10
題目:ザアカイの出会い
賛美:『神様に出会えば終わりだ(하나님을 만나면 끝난 것이다)』
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
はじめに
金持ちでありながら、人々から拒絶されていたザアカイ。彼は恥も外聞も捨て、子どものようになってイエスに会いに行きました。そして、イエスはそのザアカイを受け入れられました。その出会いによって、ザアカイは富を人々に分け与えることのできる、神の国の民として生まれ変わりました。
同じように、私たちも自分のプライドを捨て、子どものようにイエスに会いに行くなら、この世の物に縛られない、自由な神の国の民として新しくされます。そして生まれ変わった者として、イエスがしてくださったように、私たちもまた、人々から拒絶されながらも神を求めている人々のところへ出て行くのです。
聖書本文(ルカ19:1–10 要旨)
イエスはエリコに入られ、その町を通っておられました。そこにザアカイという名の人がいました。彼は取税人のかしらで、金持ちでした。彼はイエスがどのような方なのか見たいと思っていましたが、背が低く、群衆に遮られて見ることができませんでした。そこで前に走って行き、いちじく桑の木に登りました。
イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われました。「ザアカイ、急いで下りて来なさい。今日はあなたの家に泊まることにしている。」ザアカイは急いで下り、喜んでイエスを迎え入れました。しかし人々はつぶやき、「あの人は罪人の家に泊まった」と言いました。
ザアカイは立ち上がり、主に言いました。「主よ、私の財産の半分を貧しい人々に施します。もし誰かから不正に取り立てていたなら、四倍にして返します。」
イエスは言われました。「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのです。人の子が来たのは、失われた者を捜して救うためです。」
1.導入:IKEAのCM
① 赤い椅子の物語(Slide1)
IKEAのCMに、赤い椅子が登場します。この赤い椅子は、イエス・キリストを象徴しています。
この椅子は、人々から拒絶され、孤独に置かれていました。しかし、ある出会いを通して、外の世界へ一緒に出て行きます。その過程で、「自分がいた場所がすべてではなかった」ことに気づきます。
やがて元の場所に戻ってきますが、そこにはもはや憎しみはありません。そして、自分を拒んだ人々のために椅子を残し、去っていくのです。
2.ザアカイとの出会い
① エリコという町(Slide2)
ザアカイを理解するためには、まずエリコを知る必要があります。エリコは世界最古の都市の一つであり、海抜マイナス240メートルという、世界で最も低い場所にある都市です。地面から湧き出るオアシスがあり、非常に豊かな町でした。
また、首都エルサレムへ向かう幹線道路沿いに位置し、周辺で採れるナツメヤシ(대추야자)をローマへ輸出する拠点でもありました。物流と関税徴収の中心地、それがエリコでした。
② ザアカイという人物(Slide3)
ザアカイは、そのエリコにおける取税人のかしらでした。取税人は、ユダヤ人にとって裏切り者と見なされていました。ユダヤ人でありながら、同胞を支配するローマ帝国と結託し、税金に上乗せして徴収し、私腹を肥やしていたからです。
「ザアカイ」という名前の意味は「義人」です。しかし町の人々は彼を名前で呼ばず、「罪人」と呼びました。裏切り者として、強く嫌われていたのです。
③ イエスとの出会い(Slide4)
ザアカイは、イエスに会いたいと強く願っていました。19章3節で使われているギリシャ語「ゼーテオー」は、「見つけるために探す」「失われたものを探し求める」という意味を持っています。これは10節の「失われた者を探す」という言葉と同じです。
しかし、群衆が壁となり、背の低いザアカイはイエスを見ることができませんでした。中には、人々が意図的に邪魔をしていたのではないか、という解釈もあります。
木に登るという行為は、子どもがすることであり、影響力のある大人がすれば品位を欠く行動でした。それでもザアカイは、そこまでしてイエスに会いたかったのです。
彼がイエスに会いたかった理由は、イエスが当時「三大嫌われ者」とされた取税人、遊女、犯罪者たちと親しく交わっていたことを知っていたからです。すでに取税人仲間であるマタイとも親しかった可能性があります。自分も受け入れてもらえるかもしれない、そう期待したのです。
④ イエスの応答(Slide5)
イエスは、軽蔑の対象であったザアカイに、先に声をかけられました。「ザアカイ、急いで下りて来なさい。」
それは、上から見下ろして叱るためではありませんでした。人々が決して呼ばなかった、嫌われ者であるザアカイの名前を呼び、彼の存在を認めたのです。
さらにイエスは、「今日はあなたの家に泊まる」と言われました。これは、友として交わるという意味です。メシアを自称する教師が、悪名高い人物と親しくする姿に、人々はつぶやきました。「彼は罪人の家に入って客となった。」
しかしイエスは、人々の反応を意に介さず、ザアカイを受け入れました。
⑤ イエスとの対話(Slide6)
ザアカイは、自分の財産の半分を貧しい人々に施し、不正に取り立てたものは四倍にして返すと告白しました。彼は自分の罪を悔い改め、自分の富が本来、自分のものではなかったことに気づいたのです。
イエスは言われました。「今日、救いがこの家に来た。この人もアブラハムの子なのだ。」
当時、救いはアブラハムの血筋によって与えられると考えられていました。しかしイエスは、血筋ではなく、主の呼びかけに応答する者こそが救われることを示されました。ザアカイの告白と行動を、イエスは喜ばれたのです。
人々は「もったいない」と感じたかもしれません。しかしザアカイは、お金に縛られた人生から解放されました。
3.適用
① 適用の問い
私たちは、どのようにしてイエスと人格的に出会うことができるでしょうか。どのようにして、自分の考え方が変えられるでしょうか。そして、イエスのために、何ができるようになるでしょうか。
② 子どものようにイエスに会いに行こう(Slide8)
ザアカイは、背の低さ、人間関係の妨げ、この世の常識という壁を乗り越えて、木に登り、イエスに会いに行きました。
私たちにも、会いたい気持ちがあっても、さまざまな障害があります。しかし、それらを一つひとつ乗り越えるとき、イエスは私たちの名前を呼び、癒してくださいます。それこそが神の恵みです。
ただし、恵みとは、公平さや因果応報によるものではありません。受け取る資格のない者が受け取るもの、それが恵みです。
③ イエスに出会うと、考え方が変わる(Slide9)
ザアカイは、「お金がなければ幸せになれない」という考えから解放されました。すべては自分のものではないと気づき、自分のこれまでの努力が間違っていたことを告白できるようになりました。
私たちも、イエスによって癒されるとき、当たり前だと思っていた価値観が変わります。憎んでいた相手を赦せるようになり、もらうよりも与えることを喜べるようになります。
それが「生まれ変わり」です。その変化の内容や速度は人それぞれですが、変わろうとして変われるのではなく、イエスとの出会いによって変えられるのです。
④ 分かち合うことが喜びとなる(Slide10)
ザアカイは、自分の財産を、世間から捨てられた貧しい人々に分け与える決断をしました。
私たちも、イエスがなさったように、世間から拒絶された人々に声をかけていきましょう。分け与えるものは、赦しでしょうか、お金でしょうか、それとも福音でしょうか。その中には、ザアカイのように、神との出会いを切望している人々がいます。
それが私たちの使命です。私たちはすべての人にイエスを伝えに行きます。しかし、結果を出されるのは神ご自身であることを忘れてはなりません。
「私を遣わされた父が引き寄せてくださらなければ、誰も私のもとに来ることはできない」(ヨハネ6:44)
4.まとめ(Slide11)
① 子どものようにイエスに会いに行こう
あなたがイエスに出会えない理由は、何を捨てられていないからでしょうか。あなたがイエスに対して、子どものようになれない原因は何でしょうか。
② イエスに出会うと、考え方が変わる
あなた自身が「変わった」と感じる部分はどこでしょうか。もし変化を感じられないなら、何を変える必要があるでしょうか。
③ 人々に分け与えよう
あなたは、分け与えたくない相手にも、分け与えることができるでしょうか。ニコデモのようにできないとしたら、何が足りないのでしょうか。
人物比較のまとめ
ザアカイ:成功者だが嫌われ者 → イエスに会いに行く → 急激な変化 → 分け与えたくなる
サマリヤの女性:嫌われ者 → イエスが会いに来る → 急激な変化 → 人に会いに行きたくなる
ニコデモ:成功者 → イエスに会いに行く → 徐々に変化 → 人を恐れなくなる
共通点:三者すべてに、魂の渇きがあったのです。


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