20240517金曜祈祷会
聖書:創世記12:16
題目:神様のおかげで生きています
賛美:보라 너희는 두려워 말고、전능하신 나의 주 하나님은
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
聖書朗読(創世記 12章16節)
「パロは彼女のゆえにアブラムを厚くもてなしたので、アブラムは多くの羊、牛、雌雄のろば、男女の奴隷および、らくだを得た。」
Ⅰ.苦難(고난)が感謝を生み出す(Slide1)
① 苦難のない人生と、苦難のある人生
苦難(고난)がない人生は、「無難(무난)な人生」です。
しかし、苦難がある人生は、「有難い人生」です。
苦難がなければ、感謝は生まれません。
苦難があるからこそ、人は感謝を学びます。
② 「生きている」のか、「生かされている」のか
ある人はこう言います。
「自分の力で頑張って生きているのに、誰かのせいで死にそうだ!」
しかし別の人はこう告白します。
「自分の力では生きていけないのに、誰かのおかげで生きている!」
クリスチャンは、この後者の告白を忘れてはなりません。
私たちは、神様のおかげで生きている存在なのです。
Ⅱ.アブラハムの第一の試練 ― 生命
① 背景
アブラハムは、カルデヤ人のウル、すなわちメソポタミア北部に住み、月の神を拝んでいました。
しかし神様に呼ばれ、姿も見えず、目的地も分からないまま、今までの生活を捨てて旅立ちます。
ハランに移り住み、父の死をきっかけに、75歳で再出発し、カナンの地に到着しました。
異邦人の中で神を礼拝し、定住せず、外国人として生きました。
その足取りは、シケム、ベテルとアイの間、そしてネゲブへと続いていきます。
② 命の危機
しかし、カナンの地に激しい飢饉が起こります。
アブラハムは、ナイル川によって栄える大国エジプトへ下る決断をしました。
それは、神様の約束の地を離れる決断でもありました。
理由はただ一つ。
自分と家族の生命の危機に、恐れを感じたからです。
③ エジプトに入る前の恐れ
当時のエジプトでは、夫を殺して妻を奪うことがありました。
アブラハムは、自分が殺されることを恐れます。
恐怖は、次の恐怖を生み出します。
エジプトに来れば、飢饉による死の恐れから解放されると思ったのに、
今度は別の恐怖に支配されてしまいました。
そして彼は、妻サラに「妹だ」と偽証するよう頼みます。
人間の知恵で、自分の命を守ろうとしたのです。
④ エジプトで起こった出来事
サラの美しさは評判となり、彼女はパロのもとへ連れて行かれました。
創世記12章16節は、こう語ります。
アブラハムは多くの財産を得ました。
それはつまり、妻をパロに差し出した結果でもありました。
アブラハムの罪は、
約束の地を離れたこと、
偽証したこと、
そして妻を売り渡したことです。
ところが、神様はアブラハムではなく、パロを罰されました。
パロの家には激しい疫病が下りました。
パロはアブラハムを憎むどころか、恐れました。
与えた財産をそのまま持たせ、エジプトの外まで送り出したのです。
⑤ 残る疑問
ここで、いくつかの疑問が生まれます。
なぜ、飢饉から逃れるためにカナンを離れることが問題だったのでしょうか。
なぜ、罪を犯したアブラハムに、神様は祝福を与え続けたのでしょうか。
Ⅲ.アブラハムの試練から分かる三つの真理
① 私たちを生かすのは、神様のみである(Slide2)
イエスは言われました。
「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」
(ヨハネ6章35節)
アブラハムは、カナンで神様の助けを待っていたら死ぬと思いました。
世界一豊かなエジプトなら、何とかなると思ったのです。
しかし神様は、困難の中で他の助けを求める姿勢を喜ばれません。
イスラエルもまた、神様だけでなく、エジプトやアッシリア、バビロンの神々に頼りました。
その態度が、神様の怒りを招いたのです。
コロナ禍のアメリカでは、教会の扉を閉じるところが多く現れました。
悪い評判を恐れ、人を恐れた結果でした。
また、教会を離れた一部の聖徒は、神様ではなく、自分自身を信じました。
彼らは会社や市場には行くのに、教会には行かなかったのです。
② 人の努力ではなく、一方的な神の恵みによって生きる(Slide3)
「あなたがたが救われたのは、恵みにより、信仰によるのである。」
(エペソ2章8〜9節)
アブラハムは罪を犯しました。
自分の力で助かろうとし、地を離れ、嘘をつき、妻を売りました。
それでも、被害を受けたのはパロでした。
なぜなら神様が、
「あなたを呪う者を、わたしは呪う」
という約束を果たされたからです(創12:3)。
イスラエルの滅亡も、行いが悪かったからではありません。
神の子として生きる存在を捨てたからです。
私たちは、行いによって祝福されるのではありません。
存在によって祝福され、
行いに現れる信仰によって救われます。
③ 神の子としての選択をしよう(Slide4)
「すべてのことについて感謝しなさい。」
(Ⅰテサロニケ5章18節)
困難の中でも、
「神様のおかげで生きています」
と告白しましょう。
ダニエルは、祈りを禁じられてもエルサレムに向かって祈りました。
ダビデは、砂漠で喉が渇いても神様を求めました。
「お父さんさえいれば大丈夫だ」
という信仰こそが大切です。
神の子として生きること自体が、礼拝であり、神の栄光となります。
私たちは、自分の努力や才能によって祝福されるのではありません。
Ⅳ.まとめ(Slide5)
「祝福を受け、命を得たのは、誰のおかげでしょうか。」
パロでしょうか。
サラでしょうか。
アブラハムでしょうか。
いいえ、この聖句には書かれていませんが、
すべては神様のおかげです。
罪を犯したにもかかわらず、
アブラハムは命を得ました。
それは、神様の一方的な恵みによるものでした。
だからこそ、
私たちは人や自分を頼る前に、まず神様に祈りましょう。
自分の努力や結果によってではなく、
神の子として、神様の力によって生きていることを告白しましょう。
この週末、
「神様のおかげで生きています」
と心から告白できる歩みとなることを願います。


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