20240703水曜祈祷会
聖書:ルカ4:1-4
題目:2番目のアダム
讃美:350、351、353、359
説教:高曜翰 副牧師
本日の聖書箇所はルカ4章1−4節です。
「さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。そこで悪魔が言った、『もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい』。イエスは答えて言われた、『人はパンだけで生きるものではないと書いてある』。」
1.共感してくださるお方
英語に
「Stand in someone’s shoes(その人の靴を履いてみよ)」
という表現があります。
これは「相手の視点に立って考えてみなさい」という意味です。
私たちはしばしば Sympathy(同情) をします。
自分の立場から相手を見ることです。
しかし本当に人の心を動かすのは Empathy(共感)、
つまり相手の立場に立って相手を見ることです。
人は、上の立場から語られる正論や正解よりも、
同じ目線で語られる共感を受け入れます。
だから子どもは、親の正しい言葉よりも友達の言葉に心を開きます。
結局、人は
共感してくれる人に近づく存在 なのです。
そして聖書は、
イエスこそ、私たちに最も共感してくださるお方だと語っています。
2.イエスの試練の内容
① 荒野への導き
イエスはヨルダン川から帰られました。
それは洗礼を受け、聖霊に満たされた直後の出来事です。
罪を犯していないのに、罪人と同じ立場に立ち、洗礼を受けられました。
そして聖霊に導かれて荒野へ行かれました。
自ら進んで行ったのではありません。
能動的ではなく、受動的でした。
その荒野で四十日間、悪魔の誘惑を受けられました。
「あらゆる試み」を受け、その代表的な三つだけが聖書に記されています。
この三つの誘惑は、
実は アダムが失敗した試練をイエスが踏み直している場面 なのです。
② 第一の試練 ― パンの誘惑
悪魔は言いました。
「神の子なら石をパンに変えてみよ。」
目的は、神の御心よりも自分の欲求を満足させること。
荒野に導いた神の計画よりも、「生きること」自体を目的にさせることでした。
生命の危機を利用した誘惑です。
アダムは、神の言葉を正しく伝えることができませんでした。
神は「食べてはならない」と言われただけなのに、
エバは「触ってもいけない」と付け加えてしまいました。
神の言葉が正確に理解されていなかったのです。
しかしイエスは言われました。
「人はパンだけで生きるのではない。」
食べ物ではなく、
神の言葉こそが私を生かす と宣言されたのです。
③ 第二の試練 ― 栄光の誘惑
悪魔は世界のすべての権威と栄華を見せ、
「私を拝むなら全部与えよう」と言いました。
十字架という苦しい道を避け、
簡単に自分の栄光を手に入れさせようとしたのです。
エバも、
「神のようになれる」という言葉に騙され、
目に見える美しさに惹かれました。
しかしイエスは言われました。
「主なる神を拝し、ただ神にのみ仕えよ。」
人間の存在理由は、
自分が栄光を受けることではなく、
神に栄光をお返しすることだと知っておられました。
④ 第三の試練 ― 神を試す誘惑
悪魔は聖書の言葉まで引用して言いました。
「飛び降りよ。神が守ると書いてある。」
もっともらしい言葉ですが、
これは神への信頼を疑わせる誘惑です。
神の約束を試すということは、
神を信頼していないということだからです。
しかしイエスは言われました。
「主なるあなたの神を試みてはならない。」
神は試す必要のないほど良いお方であると、
完全に信頼しておられました。
讃美歌353番にもあるように、
私たちは神の兵士としてイエスに従う存在です。
この世の上官は兵士の気持ちを理解しません。
しかしイエスは、私たちの気持ちを理解してくださる主です。
3.この試練が伝えている三つのこと
① イエスは命をもたらす2番目のアダム
第一コリント15章45節は言います。
「最後のアダムは命を与える霊となった。」
最初のアダムによって全人類は罪人となりました。
しかし最後のアダムであるイエスによって、私たちは義人となります。
ルカの系図がアダムまでさかのぼるのは、
イエスが人類の失敗をやり直す救い主であることを示すためです。
天使が助けて勝つのでは意味がありません。
人として勝利されたからこそ意味があるのです。
② イエスは共感してくださるお方
ヘブル4章15節は言います。
「この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできない方ではない。」
イエスは天から命令する神ではありません。
同じ立場に立ち、同じ試練を経験されたお方です。
だからこそ、私たちの痛みを本当に理解してくださいます。
洗礼も、荒野の試練も、
本来受ける必要のないものでした。
それでも受けられたのは、私たちに共感するためです。
③ 神の言葉だけが勝利をもたらす
イエスは奇跡や力で勝ちませんでした。
ただ御言葉を引用されただけです。
私たちも何かを達成する必要はありません。
強くなる必要もありません。
ただ
恵みの御座に近づくだけで良いのです。
近づくことで義とされ、助けを受けます。
受動的でも構いません。
大切なのは、自分が前に出ることではなく、神に頼ることです。
4.結論 ― 荒野の試練が教えること
この出来事から三つの真理が分かります。
第一に、
イエスは命をもたらす2番目のアダムであること。
第二に、
イエスは私たちに共感してくださるお方であること。
第三に、
私たちは手ぶらで神に近づいてよいということ。
試練に勝つ秘訣は、
強くなることではありません。
神様に近づき、神様に頼って生きることです。
そして私たちも、
イエスのように人の弱さを認め、共感できる者となりましょう。
アーメン。


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