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安息日の主人(ルカ6:1-5)
고요한 2026-02-09 추천 0 댓글 0 조회 24

 

20240724水曜祈祷会

聖書:ルカ6:1-5

題目:安息日の主人

讃美:405、406、436、445

説教:高曜翰 副牧師

場所:중앙성서교회


はじめに

本日の神様のみことばは、ルカによる福音書6章1〜5節です。

「人の子は安息日の主である。」

このみことばを中心に、
安息日とは何か、律法とは何か、そして私たちの主人は誰なのか
このことについて共に考えていきたいと思います。


1.ピーターの法則 ― 地位が人を苦しめるとき

1969年、南カルフォルニア大学で提唱された「ピーターの法則」という理論があります。

それは、
「人は能力の限界の地位まで昇進し、そこで無能になる」
というものです。

無能な上司は無能な部下を採用し、組織全体が弱くなります。
しかし昇進を止めれば人材が流出します。

そのため、

  • 基準を明確にする

  • 降格制度を作る

  • 成長の機会を与える

  • 親しいからといって昇進させない

このような対策が必要だと言われています。

本来「地位」は人を認め、助けるためのものであるはずです。
しかし人の罪深さによって、それは人を苦しめるものに変わってしまいます。

実は、安息日も同じ問題を抱えていました。


2.安息日の出来事

① 弟子たちの行動

安息日の朝、イエス様と弟子たちは会堂へ向かう途中、麦畑を通りました。

弟子たちは空腹だったため、麦の穂を摘み、手でもんで食べました。

申命記23章25節によれば、
他人の畑で穂を摘むこと自体は許されていました。

しかし問題は「安息日」でした。


② パリサイ人の非難

パリサイ人は言いました。

「なぜ安息日にしてはならないことをするのか」

彼らは弟子たちの行為を、

  • 刈り取り

  • 脱穀

  • 篩分け

  • 食事準備

この四つの「労働」とみなしました。

彼らは律法の守護者として、細かい規則を無数に作っていました。
木製の義足も禁止、帯を結ぶことも禁止、女性に水汲みをさせるなど、
本来の目的を忘れた規則ばかりでした。

安息日は、いつの間にか「人を休ませる日」ではなく、
人を縛る日になっていたのです。


③ イエス様の答え

イエス様はダビデの例を出されました。

ダビデは飢えたとき、
祭司しか食べられない供えのパンを食べました。

これは律法違反でした。
しかし神様はダビデを罰されませんでした。

なぜでしょうか。

命を守ることが、律法よりも優先されたからです。

そしてイエス様は宣言されます。

「人の子は安息日の主である」

つまり、

  • メシアである私が主人だ

  • 私が無罪と言うなら無罪だ

ということです。


3.三つの適用

福音書は三人がこの出来事を記しています。
それぞれ強調点は違いますが、核心は同じです。


① 律法は命を守るためにある(マルコ)

「安息日は人のためにあるのであって、人が安息日のためにあるのではない」

律法は人を裁くためではありません。
人を生かすためにあります。

律法は罪を映す鏡です。
神様なしでは生きられないことを教えるためのものです。

礼拝、祈り、献金、奉仕も同じです。
それ自体で清くなるのではありません。
神様との関係を回復するための手段なのです。


② イエスこそ主人である(マタイ)

「宮よりも大いなる者がここにいる」

祭司よりも、ダビデよりも、
さらに偉大なお方がここにいる。

それがキリストです。

王と祭司を合わせ持つ、真の主人。
安息日の権威を持つお方です。


③ 律法を通して神の心を知る

「わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない」

神様が求めておられるのは儀式ではなく、あわれみです。

パリサイ人は律法を守りました。
しかし神様の心を知りませんでした。

律法を守っても、
礼拝しても、
祈っても、
神様の心を知らなければ意味がありません。

神様は、私たちが命を取り戻す姿を見て喜ばれるお方です。


4.大川常吉の証し

関東大震災のとき、
「朝鮮人が毒をまいた」というデマが広がり、多くの人が殺されました。

横浜鶴見警察署長・大川常吉は違いました。

彼は言いました。

「先に私を殺してからにしろ。一人も渡さない」

そして数百人の命を守りました。

彼は言いました。

「警察官は人を守るのが当たり前だ」


5.私たちの姿勢

私たちは神の国の民です。

礼拝することも、
祈ることも、
仕えることも、

特別なことではありません。
当たり前のことです。

「私たちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません」

私たちは主人ではなく僕です。

自分を高めるためではなく、
人を休ませるために生きる者です。


まとめ

① 律法と安息日は命を救うためにある

人を苦しめるためではない。

② イエス・キリストが主人である

自分が主人になってはならない。

③ 主の心を知ろう

安息日を通して、神様のあわれみを学ぼう。


安息日を通して主人の思いを知り、
人々を休ませ、 

神様に近づける僕として歩んでいきましょう。​ 

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