20240805早天祈祷会
聖書:士師記6:1−6
題目:苦しめるミデアン人
賛美:405
説教:高曜翰 副牧師
Ⅰ.はじめに
士師記の時代、イスラエルは何度も同じ過ちを繰り返しました。
主に従い、祝福を受け、しかし豊かになると神様を忘れ、再び罪を犯す。
そして苦しみの中で主に立ち返る。
今日の箇所は、その典型的な姿が描かれています。
イスラエルは再び主の前に悪を行い、その結果、ミデアン人によって七年間も苦しめられることになりました。
これは単なる歴史ではありません。
私たち自身の信仰生活の姿でもあります。
Ⅱ.本文解説
① 主から離れたイスラエル
イスラエルの人々は、また主の前に悪を行いました。
そのため主は、彼らを七年間ミデアン人の手に渡されました。
これは偶然ではなく、神様の導きでした。
神様がミデアン人を用いて、イスラエルを苦しめられたのです。
なぜでしょうか。
それは、主から離れ、霊的に浮気したイスラエルが、もう一度神様のもとに帰ってくるためでした。
しかしイスラエルは、その苦しみが自分たちの罪の結果であることを、七年間も理解できませんでした。
② 自分の力で切り抜けようとするイスラエル
ミデアン人の支配は非常に厳しいものでした。
イスラエルの人々は身を守るために、山に洞穴や岩屋、要害を造りました。
つまり、自分たちの力で何とかしようとしたのです。
しかし、どんなに隠れても無駄でした。
種をまく時期になると、
ミデアン人、アマレク人、東方の民がイナゴのように押し寄せてきました。
彼らは家畜と天幕を携え、ラクダに乗ってやって来ました。
ラクダは馬より持久力があり、遠くまで素早く攻め込むことができます。
そして収穫物をすべて奪い、
羊も牛もロバも、一つも残しませんでした。
イスラエルは毎年、努力の実りをすべて奪われたのです。
人間の力では、この問題は解決できませんでした。
③ 主を呼ぶイスラエル
ついにイスラエルは極度の貧困に陥りました。
食べ物がなく、
家畜もなく、
経済も、軍事も、政治も、すべてが破壊されました。
生活そのものが成り立たなくなったのです。
そしてようやく、
「主よ!」
と叫び求めました。
持っているものが全部なくなったとき、
初めて神様に頼るようになったのです。
Ⅲ.新約聖書からの適用
① 主と共にいることが一番大事
イエス様は言われました。
「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいる。」
私たちは主が共におられるからこそ、教えを守り、使命を果たし、生きていくことができます。
子どもが健全に育つためには、親がそばにいることが必要です。
夫婦関係も同じです。物やお金ではなく、「共にいること」が最も大切です。
信仰生活も同じです。
最も重要なのは、「神様が共におられること」です。
② 自分の力に頼らず、神様に近づくこと
ヤコブの手紙は言います。
「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さる。」
私たちは自分の力では生きられません。
神様を喜ばせることもできません。
神様に近づき、清められて初めて、正しく生きることができます。
夫婦関係でも、過去の関係を清算し、互いだけに頼る必要があります。
同じように、私たちは神様だけに頼らなければなりません。
神様の力なしに、真の問題解決はあり得ないのです。
③ 持っているものが何もなくなった時
イエス様は言われました。
「ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。」
私たちは努力や能力で生きているのではありません。
恵みによって生かされています。
しかし、持っているものが多いと、自分の力に頼ってしまいます。
そして神様を無視してしまいます。
反対に、何もなくなったとき、
私たちは心から神様に頼ることができます。
だから、持っていないことは不幸ではありません。
それは 神様に立ち返るチャンス なのです。
フェム集まりも同じです。
礼拝で聞いた神様の言葉に、私たちが応答するための時間です。
Ⅳ.まとめ
今日の御言葉から三つのことを覚えましょう。
第一に、主と共にいることが人間本来の姿です。
第二に、私たちは自分の力で生きる存在ではありません。
第三に、持っているものが何もなくなった時、それは悲しい時ではなく、むしろ嬉しい時です。
なぜなら、その時こそ、神様のもとに立ち返り、神様の働きを見ることができるからです。
苦しみは裁きであると同時に、
神様が私たちを呼び戻すための愛でもあります。
どんな時も主に近づき、
主と共に歩む一日となりますように。


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