20240923早天祈祷会
聖書:士師記10:17-18
題目:祈りの後の行動
賛美:457
説教:高曜翰 副牧師
はじめに
本日の箇所では、イスラエルが神様に助けを求めた後、実際に戦いの準備を始める姿が描かれています。
祈りは大切ですが、祈りの後には信仰に基づいた行動が求められます。
この御言葉から、信仰者の歩みについて学びたいと思います。
1.本文の解説
(1)アンモン人の攻撃 ― 破滅を狙う敵
アンモン人はイスラエルを滅ぼすためにギルアデに陣を敷きました。
これは、悪魔の姿を象徴しています。
悪魔は私たちが破滅する時を待っています。時には甘い言葉で誘惑し、成功させるように見せることもあります。しかしこの世は快楽には親切でも、痛みの時には助けになりません。
そして霊的に弱くなったとき、一気に襲いかかります。
しかしその痛みは、神様に立ち返らせるために用いられることもあります。
(2)イスラエルの対応 ― 祈った後に備える
イスラエルは神様に助けを求めた後、ミヅパに集まり陣を敷きました。
彼らはただ祈って待ったのではなく、戦いの準備を始めました。
「ミヅパ」とは「見張りの塔」という意味です。つまり、霊的に目を覚まし、監視し、備える場所でした。
彼らはこの世との戦いに備えていたのです。
(3)指導者を求める民
イスラエルは言いました。
「誰が先に戦いを始めるか。その人がかしらとなる。」
指導者がいないことは、霊的堕落の結果でした。
確かに悪い指導者もいますが、指導者の存在そのものは恵みでした。平安な時には分かりませんが、苦難の時になると指導者の重要性がはっきりします。
人々が周囲の視線に左右されるとき、責任を負う指導者が必要なのです。
2.新約聖書から学ぶ
(1)この世は私たちを愛していない
「あなたがたはこの世のものではない…だからこの世はあなたがたを憎むのである」(ヨハネ15:19)
この世は、私たちが強い時には良い顔をしますが、弱くなると滅ぼそうとします。
この世は神のためではなく、悪魔の支配の中で働いています。
もしこの世だけを目的に生きれば、一時的には楽に見えるかもしれません。しかしその先には永遠の結果があります。
(2)現実との戦いは避けられない
「敵である悪魔が、ほえたけるししのように歩き回っている」(Ⅰペテロ5:8)
この世は私たちに肉的な夢を見させます。
しかし私たちは霊的な目を覚まし、誘惑や試練と戦わなければなりません。世は私たちを称賛しますが、それは利用するためであることがあります。
心地よい夢の中にいるだけではいけません。現実には霊的な戦いがあり、それに負ければ未来を失ってしまいます。
(3)神様が送る指導者に感謝する
「神の言葉を語った指導者たちを思い起こし、その信仰にならいなさい」(ヘブル13:7)
霊的堕落はしばしば指導者を追い出します。自分の思い通りにならないからです。
しかし指導者がいなければ、危機の時に人々は責任逃れを始めます。
士師の時代も、士師が生きている間は主に仕えていました。
私たちには、洗礼者ヨハネのように人々を神に向ける指導者が必要です。人を自分に向けさせる指導者ではありません。
すべての人が初めから強い信仰を持っているわけではありません。見えないイエスを信じるために、見える指導者の存在も必要なのです。
3.まとめ
① この世は私たちを本当には愛していない。
② 現実を見て、霊的な戦いに備えなければならない。
③ 神様が送ってくださる指導者に感謝し、ともに戦おう。
祈りは出発点です。
祈りの後に、信仰をもって立ち上がり、備え、共に歩むことが求められています。


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