20240924早天祈祷会
聖書:士師記11:1–3
題目:ギレアデ人エフタ
賛美:460
説教:高曜翰 副牧師
はじめに
本日の箇所では、新しい士師として登場するエフタの背景が語られています。
彼は「強い勇士」でありながら、決して恵まれた環境に生まれた人物ではありませんでした。
しかし神様は、人が軽く見るような存在を用いて働かれます。
その姿勢をエフタの人生から学びたいと思います。
1.本文の解説
(1)エフタの出自 ― 不遇な始まり
ギレアデの子エフタは強い勇士でしたが、母は遊女でした。
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エフタという名には「神が開かれる」「神が聞いてくださる」「神が自由にされる」という意味があります。
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ギレアデは「岩の地域」を意味します。
彼は強いカリスマ性を持ちながらも、生まれのゆえに不遇な立場に置かれていました。
(2)家から追い出される
エフタは兄弟たちから、
「あなたは父の家を継ぐことはできない」
と言われ、トブの地へ追い出されました。
同じように庶子であったアビメレクとは違い、エフタは家族に受け入れられませんでした。
本来、相続権がないなら追い出す必要はありません。これは、エフタが長子であった可能性を暗示しています。モーセの律法では、第二婦人の子であっても長子の特権は守られていたからです。
トブは「良い」という意味で、ギレアデの北東部に位置していました。
(3)ならず者が集まる
エフタのもとには、社会から見捨てられた者たちが集まりました。
これはサウルから逃れたダビデのもとに人々が集まった姿にも似ています。
彼らは略奪行為をしましたが、それは敵の領土に対するものであり、生きるための食料や必需品を得るためでした。
この時の戦闘経験が、後に神様に用いられる備えとなっていきます。
2.新約聖書から学ぶ
(1)主は外側ではなく生き方を見る
「心の清い人たちは幸いである」(マタイ5:8)
「それぞれ自分の行ったことに応じて報いを受ける」(Ⅱコリント5:10)
人は家系や地位など外側を見ます。しかし神は心とそこから生まれる行動を見られます。
人間社会では、親の影響や背景で判断されることがあります。しかし神の働きにおいては、それだけで人を決めつけてはなりません。
生まれだけで人を判断するなら、その人はどこで救いを受けることができるのでしょうか。
(2)エフタは復讐ではなく人を助けた
「復讐はわたしのすることである」(ローマ12:19)
人は自分を傷つけた相手に復讐したくなるものです。しかしそれは神の領域を奪う行為です。
エフタは復讐しませんでした。アビメレクのように力で支配することもできたはずですが、そうしませんでした。
彼は自分のもとに集まった捨てられた人々を受け入れました。略奪もイスラエルの外で行っていました。
彼は自分を立てるのではなく、自分と同じ傷を持つ人々の面倒を見ました。自分の傷を通して、他者の傷を癒す人生を歩んだのです。
(3)神は弱い立場の人を用いられる
「恐れることはない」(マタイ28:5)
イスラエルが指導者を求めた時、神様はエフタに目を向けました。
人々が求める指導者は、良い家柄、高い能力、立派な人格かもしれません。しかし神の基準は違います。
復活の知らせを最初に聞いたのは女性たちでした。当時、女性は証人として十分とは見なされていませんでした。またイエスの誕生もまず羊飼いたちに知らされました。
神が働かれるとき、人間の能力の高低は決定的な要素ではありません。神の働きに用いられること自体が祝福なのです。
エフタの生き方は、弱い人々を顧みる生き方でした。
自分を立てるのではなく、弱い立場の人を立てる生き方でした。
だからこそ神様は彼を立てられたのです。
3.まとめ
① 主はその人の生き方と生活を見られる。
② エフタは捨てられた人々のために生きた。
③ 主は弱い立場の人々を用いられる。
神様は、人が価値なしと思う場所からでも、新しい働きを始められます。
私たちも自分を立てるのではなく、弱い人を立てる生き方へと導かれていきましょう。


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