20241026 土曜祈祷会
聖書:創世記22:1-8
題目:アブラハム―良い方であると信じる
賛美:302
説教:高曜翰 副牧師
場所:大阪中央教会
1.本文解説
(1)アブラハムを呼ばれる神
神はアブラハムに言われました。
「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、彼を燔祭としてささげなさい」(創世記22:2)。
この命令は、一見すると悪魔の声のようにも聞こえます。なぜなら、当時の偶像崇拝では人間をいけにえとしてささげる行為が存在していたからです。しかし、これまで神は鳥や羊、牛などの動物を求められたことはあっても、人間を求められたことはありませんでした。神の性質に合わないように思える命令です。
さらにこれは、直前に与えられた約束の危機でもありました。神は「イサクによってあなたの子孫が起こされる」と約束されたばかりです(創世記21:12)。もしイサクをささげるなら、その約束はどうなるのでしょうか。
では、どうやってアブラハムはこの言葉を神の言葉として受け止めることができたのでしょうか。それは、これまでの数々の試練を通して、神の声を聞き分けることができるようになっていたからです。経験を通して、神を知っていたのです。
(2)アブラハムの対応
「アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者とその子イサクとを連れ、燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた」(創世記22:3)。
アブラハムは朝早く起きて準備をしました。疑うこともなく、誰かに助言を求めることもなく、命令を無視することも、先延ばしにすることもありませんでした。
彼は自らロバに鞍を置き、薪を割り、神の言われた通りに出かけました。他人任せにせず、ヨナのように逃げることもなく、積極的に行動したのです。
聖書は彼の心の葛藤を詳しく書いていません。しかし、この素早い従順な行動から分かることは、彼が感情ではなく信仰によって動いていたということです。
(3)モリヤ山での信仰の告白
モリヤ山に着いたとき、アブラハムは若者たちに言いました。
「わたしと子供は向こうへ行って礼拝し、それからあなたがたのところに戻ってくる」(創世記22:5 原文訳)。
彼は「私が戻ってくる」とは言わず、「私たちは戻ってくる」と言いました。そこに信仰が表れています。
新約聖書はその理由を明らかにしています(ヘブル人への手紙11:19)。
「彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。」
当時、復活は前例のない出来事でした。それにもかかわらず、アブラハムは神が死人の中からよみがえらせる力を持っておられると信じていました。それは、これまでの試練を通して神が信頼できるお方であると知っていたからです。
事実、この後アブラハムは本当にイサクをささげようとしました。ナイフを忘れることもなく、途中で言い訳を作ることもありませんでした。神がどのように約束を成就されるのかは分かりませんでしたが、それでも信頼しました。
彼は確信していました。自分の神は、カナンの神々とは違う。良いお方であり、真実なお方である、と。
ここに、「神は良い方である」と信じる信仰があります。
2.新約聖書との関連
(1)タラントのたとえ
主イエスはタラントのたとえを語られました(マタイによる福音書25:14–30)。
一タラントを渡された僕が叱られたのは、単に怠けていたからだけではありません。問題は彼の態度でした。
彼は言いました。
「あなたは、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人だと思っていました。だから恐ろしくなり、地の中に隠しました。」
彼は主人を悪い人だと決めつけていました。そこに問題があったのです。神を厳しく冷酷な方だと誤解すると、信仰は実を結びません。
(2)信仰による成長
アブラハムはもともと偶像礼拝者でした(ヨシュア24:2)。しかし、神の約束を信じて故郷を出ました。
やがて彼は、神が死人の中からよみがえらせる力を持つと信じるまでに成長しました(ヘブル人への手紙11:19)。
大切なのは、嫌々従うことではありません。神は良いお方であると信じて従うことです。信頼があるところに、真の従順があります。
(3)信仰による変化
神を良い方だと信じるとき、私たちの生き方は変えられます。
与えられることばかりを求める人ではなく、イエスのように与える人になります。
この世に固執する人ではなく、イエスのように自由な人になります。
この世を恐れる人ではなく、イエスやアブラハムのように大胆な人になります。
結び
私たちの人生が思い通りに進まないときがあります。理解できない命令や状況に直面することもあります。
しかし、そのときこそ問われるのです。
「あなたは神をどのようなお方だと信じていますか。」
神は良いお方です。
約束を守られるお方です。
死人をもよみがえらせる力を持つお方です。
たとえ道が見えなくても、良い方である神が導いておられると信じて歩んでいきましょう。


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