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エチオピア人の宦官(使徒行伝8:26-40)
고요한 2026-03-04 추천 0 댓글 0 조회 32

 

20250314早天祈祷会

聖書:使徒行伝8:26-40
題目:エチオピア人の宦官
賛美:91番、449番

説教:高曜翰 副牧師

場所:大阪中央教会


1.本文解説

① 天使の命令「南へ行きなさい」

主の使いがピリポに現れ、「立って南へ行き、エルサレムからガザへ下る道に出なさい」と命じました。このガザは荒れた地でした。

サマリヤでの伝道は、直接的な命令があったわけではありませんでしたが、聖霊が下り、神様がその働きを認めておられました。しかし今回は、はっきりと神様からの命令による移動でした。

本来であれば、サマリヤでさらに大きな成果を上げ続けることもできたはずです。しかし神様は、あえて荒野のガザへ向かうように命じられました。そこでピリポは、エチオピアの女王カンダケの高官であり、全財産を管理していた宦官と出会います。

彼は礼拝のためにエルサレムに上り、その帰り道で預言者イザヤの書を読んでいました。おそらく過越の祭りや五旬節に参加するために来ていたのでしょう。しかし彼は異邦人であり、さらに宦官でもあったため、他のユダヤ人と同じように礼拝に参与することはできませんでした。

当時のエチオピアは、現在の南エジプトからスーダンにかけての地域に存在していました。王は神聖視され、実際の統治は王母が行っていました。「カンダケ」は王母の称号です。


② 聖霊の導き「近寄って、あの馬車と一緒に行きなさい」

聖霊はピリポに、「あの馬車に近寄りなさい」と命じました。

申命記23章1節には、宦官は主の集会に加わることができないと記されています。しかし、イザヤ56章3~5節では、宦官にも祝福が与えられるという預言が語られています。神様の救いのご計画は、すでに旧約の中に示されていました。

ピリポが走っていくと、宦官がイザヤ書を大声で読んでいるのが聞こえました。彼が読んでいたのは、イザヤ53章のメシア預言の箇所でした。

ピリポは尋ねました。
「あなたは、読んでいることがおわかりですか。」

すると宦官は答えました。
「導いてくれる人がいなければ、どうしてわかりましょうか。」

彼はピリポを馬車に招き、一緒に座るように求めました。そして尋ねました。
「預言者はだれについて語っているのですか。自分のことですか、それとも他の人のことですか。」

そこでピリポは、その聖書箇所から説き起こし、イエス・キリストについて福音を語りました。


③ 宦官の決断「洗礼を受けるのに何か問題がありますか」

道を進んでいくうちに、水のある場所に来ました。すると宦官は言いました。
「ここに水があります。わたしがバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがありますか。」

これは、彼がイエス・キリストを心から受け入れた結果でした。

37節は後代に付け加えられた部分とされていますが、そこにはこうあります。
ピリポは「心から信じるなら、受けてさしつかえはありません」と言い、宦官は「わたしはイエス・キリストを神の子と信じます」と告白しました。

二人は水の中に下り、ピリポは彼にバプテスマを授けました。その後、主の霊がピリポを連れ去り、彼はアゾトに現れます。そして町々を巡りながら福音を伝え、ついにカイザリヤに至りました。

カイザリヤは、ピリポの新しい宣教地となりました。彼の働きは、ユダヤからサマリヤ、そして地の果てへと広がる福音の流れを体現するものでした。


2.適用

① 神様が呼ばれる場所こそ、私のいるべき場所

ピリポはエルサレムからサマリヤへ行き、多くの人々がバプテスマを受けました。使徒たちも来て聖霊を授け、魔術師シモンから人々を救いました。

しかし神様は、天使と聖霊を通して、彼を荒れたガザへと送りました。それは、エチオピアの宦官に福音を伝え、バプテスマを授けるためでした。

さらに神様は、サマリヤに戻らせるのではなく、アゾトへ導き、そこから歩いてカイザリヤへ向かわせました。ピリポは道すがら福音を伝え、カイザリヤを拠点としました。

神様が遣わされるところには、必ず目的があります。自分の計画ではなく、神様のご計画に従う者が、人を救いへと導くのです。


② 私たちにはイエスを伝える役割がある

イザヤ53章はメシア預言です。そのメシアこそイエス・キリストであることを伝える使命が、私たちにはあります。

当時のユダヤ人たちは、この預言を自分たち自身のこととして解釈しました。イエスがメシアであることを受け入れず、自分たちの思い描くメシア像に固執しました。

しかしピリポは、自分を示すことなく、ただイエスを示しました。そしてすぐに連れ去られ、自分の功績を誇ることもありませんでした。

私たちも、自分を表すのではなく、常にイエスを表す存在であるべきです。


③ 人が変えられる姿を見る喜び

ピリポの歩みは、人間的に見れば落ち着きのないものに見えるかもしれません。自分の行きたい場所にも行けず、したいこともできず、天使と聖霊に導かれるままに動かされました。

しかし彼は、敵対関係にあったサマリヤ人や、地の果てと呼ばれるエチオピア人が神様を受け入れる姿を目の当たりにしました。

それは主イエスの言葉、
「ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となる」という約束の成就でした。

人が人を根本から変えることはできません。しかし、神様に導かれて福音を語るとき、不可能が可能になります。伝道は自分が導くのではなく、神様が導かれる働きなのです。


3.まとめ

ピリポのように、自分の思いではなく、神様の導きに従順になりましょう。

神様が導かれた場所こそ、今、私が使命を果たすべき場所です。その確信をもって、一日一日を歩んでいきましょう。​ 

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