20250330家庭礼拝
聖書:詩篇119:65-72
題目:神の掟を喜びに変えるもの
賛美:405、406
説教:高曜翰 副牧師
場所:家庭
聖書本文(詩篇119:65−72)
主よ、あなたは御言葉のとおりに、しもべを良く扱ってくださいました。
わたしに良い判断と知識を教えてください。わたしはあなたの戒めを信じるからです。
わたしは苦しみにあう前には迷っていました。しかし今は、あなたの御言葉を守ります。
あなたは善であり、善を行われるお方です。あなたの定めをわたしに教えてください。
高ぶる者たちは偽りをもって、わたしを覆い隠します。しかしわたしは心を尽くして、あなたのさとしを守ります。
彼らの心は肥え太り、脂肪のようです。しかしわたしはあなたの掟を喜びます。
苦しみにあったことは、わたしにとって良いことでした。これによって、わたしはあなたの定めを学ぶことができました。
あなたの口から出るおきては、幾千の金銀よりも、わたしにとって価値があります。
1.本文解説
① 苦しみの前と後の変化
「私は苦しまない前は迷った。しかし今は御言葉を守ります。」
苦しみを経験する前、平安に見える時には、実は多くの迷いがありました。
そのとき私は御言葉ではなく、自分の考えに従って歩んでいました。
しかし苦しみを経験した後は、御言葉に従うことができるようになりました。
なぜなら神様は善いお方であり、常に善を行われる方だからです。
苦しみは私を教え、私を作り変える働きをします。
② 高慢な人の知恵の限界
高ぶる者たちは偽りを語ります。
その心は肥え太り、脂肪のようになっています。
人の知恵やアドバイスは、時に参考にはなりますが、決して完全なものではありません。
なぜなら、それらはしばしば高慢な心から出てくるものだからです。
そのような言葉は私を本当に慰めることはできず、むしろ惨めな気持ちにさせることさえあります。
人の助言は何かを教えることはできても、私たちを本当に作り変えることはできません。
③ 苦しみは良い教師である
苦しみにあったことは、私にとって良いことでした。
それは、神の掟を学ぶことができたからです。
苦しみは、頭の理解だけではなく、体と心の両方で教えてくれます。
そのため、私たちは本当に作り変えられていきます。
だからこそ、苦しみにあったことが自分にとって幸せなことであったと言うことができるのです。
2.適用
苦難を通して学ぶことで平安を得る
「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。」
(マタイによる福音書11:29)
① 学ぶことに対する誤解
私たちは小さい頃から、学ぶこと=苦痛であるかのように教え込まれてきました。
しかし本来、学ぶこととは新しい発見であり、生きる喜びです。
知識は暗闇を照らす力になります。
② 神について学ぶことは平安を得ること
イエス様は「学びなさい」と言われました。
そして「そうすれば魂に休みが与えられる」と約束されています。
神様について学ぶことは、心に平安を得ることです。
神様について深く知るほど、私たちは神様を頼って生きることができるようになります。
③ 「私のくびきを負うて、私に学びなさい」
イエス様は、「私のくびきを負って学びなさい」と言われました。
苦しみは、神様について学ぶ機会を与えます。
しかしそのくびきは、私たちを死に至らせる重荷ではありません。
むしろ苦しみを通して、私たちは学び、作り変えられ、真の平安を得る者となります。
④ これまでの苦しい経験を振り返る
これまで経験してきた苦しい出来事を思い出してみてください。
主の中で解決した問題はすべて、私たちを成長させ、神様をより深く知る機会となってきました。
苦しみの最中にいるときには、その意味はよく分かりません。
しかしそれが終わったとき、私たちは大きな喜びを得ているはずです。
例えば、
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新潟での勉強
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アメリカでの勉強
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会社での仕事
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韓国での訓練
これらの経験もすべて、神様を知るための学びの過程でした。
3.まとめ
① 苦しみは良い教師になります。苦しい時こそ、学ぶ姿勢を忘れてはいけません。
② 苦しみを通して、私たちは神様をより深く知り、信仰的に成長することができます。
③ そして、かつて苦痛に感じていた神の教えが、やがて喜びへと変えられます。
その結果、私たちは揺さぶられない信仰生活を送ることができるようになります。


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