20250401早天祈祷会
聖書:使徒10:24-33
題目:壁を壊すペテロ
賛美:368、457
説教:高曜翰 副牧師
場所:大阪中央教会
聖書本文(使徒10:24−33)
その次の日、一行はカイザリヤに着きました。
コルネリオは親族や親しい友人たちを呼び集めて、ペテロを待っていました。
ペテロが到着すると、コルネリオは彼を出迎え、足元にひれ伏して敬意を表しました。
しかしペテロは彼を起こして言いました。
「お立ちなさい。わたしも同じ人間です。」
ペテロはコルネリオと話をしながら家の中に入りました。
すると、そこにはすでに大勢の人々が集まっていました。
ペテロは彼らに言いました。
「あなたがたも知っているように、ユダヤ人が外国人と交際したり、その家に出入りしたりすることは禁じられています。
しかし神は、どんな人をも清くないとか汚れているとか言ってはならないと、わたしに示されました。
それで私は、招かれた時、少しもためらわずに来ました。
そこでお尋ねしますが、どういう理由で私を招かれたのですか。」
するとコルネリオは答えました。
「四日前のこの時刻、私は家で午後三時の祈りをしていました。
すると突然、輝いた衣を着た人が私の前に立って言いました。
『コルネリオよ、あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前に覚えられている。
ヨッパに人を送り、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。
彼は海辺にある皮なめしシモンの家に泊まっている。』
それで私はすぐにあなたをお呼びしました。
よく来てくださいました。
今、私たちは主があなたにお命じになったことをすべて聞くために、神の前に集まっています。」
1.本文解説
① コルネリオの信仰とペテロの行動
ペテロがカイザリヤに到着した時、コルネリオは親族や友人たちと共に待っていました。
コルネリオには、ペテロが来るという確信がありました。
それは神様に対する強い信頼を持っていたからです。
コルネリオはペテロの足元にひれ伏して敬意を表しました。
これはペテロを礼拝したという意味ではなく、ローマ人の挨拶として敬意を払った行動でした。
しかしペテロはそれを礼拝と受け取って、「お立ちなさい。私も一人の人間です」と言いました。
そして会話をしながら家に入っていきました。
これは、ユダヤ人と異邦人の間にあった大きな壁を乗り越えた行動でした。
② ペテロが来た理由
ペテロは、自分がここに来た理由を説明しました。
ユダヤ人が外国人と交際したり、その家を訪問することは本来禁じられていました。
しかし神様は、どんな人に対しても「清くない」とか「汚れている」と言ってはならないと教えられたのです。
この時、ペテロは神様が見せた幻の意味を理解していました。
もともと異邦人との交流が禁止されていたのは、歴史の中で異邦人と接触した結果、偶像礼拝がイスラエルの中に入り込んできたことがあったからです。
しかし神様から教えられたことで、ペテロはためらわずにここへ来ることができました。
もし神様の導きがなければ、ペテロはここに来ることはなかったでしょう。
ペテロは、使者から話を聞いてはいましたが、本人から直接理由を聞く必要がありました。
そのため、コルネリオに「なぜ私を招いたのですか」と尋ねました。
③ コルネリオの証言
コルネリオは自分の体験を証言しました。
祈りの時間に、天使が現れ、神様が自分の祈りを聞き、施しを覚えておられると言われました。
そして、ヨッパにいるペテロを招くように命じられたのです。
そのため、コルネリオはすぐに使者を送りました。
そしてペテロが来てくれたことに対して感謝を表しました。
コルネリオは、ユダヤ人と異邦人の間にある宗教的・文化的な壁をよく理解していました。
それでも神様の命令に従ったのです。
そしてこう言いました。
「主があなたにお命じになったことを聞くために、私たちはここに集まっています。」
コルネリオ自身は、天使の言葉に従っただけで、詳しいことは分かりませんでした。
しかしペテロが神様からのメッセージを持っていることは確信していました。
そのため彼らは、神の言葉を聞く準備をして待っていたのです。
2.適用
① 神様は私たちを用いて壁を壊される
ユダヤ人は異邦人の家を訪ねることができませんでした。
また、ユダヤ人を理解している異邦人も、ユダヤ人を家の中に入れないことが多く、互いに距離を保っていました。
しかしこの場面では、コルネリオがペテロを招き、ペテロはその家に入りました。
これは大きな壁が崩れた瞬間でした。
神様は、不要な壁を壊されるお方です。
イエス様も、安息日に人を癒したり、罪人と食事をしたりしました。
またイエス様を通して、私たちは祭司を通さなくても神様に直接祈ることができるようになりました。
さらに、生贄をささげることなく礼拝することもできるようになりました。
② 神様の御心に自分の思いを合わせる
イエス様は祈りについて次のように教えました。
「御国が来ますように。
みこころが天で行われるように、地でも行われますように。」
(マタイ6:10)
祈りの中心は、自分の思い通りになることではありません。
神様の御心が実現することです。
私たちは新しいことをしようとして失敗することがあります。
その原因は、自分のやりたいことを優先してしまうからです。
私たちの思いを、神様の思いに合わせる必要があります。
私たちの心が神様の御心に一致したとき、神様の働きが現れます。
それは大きなことでも、小さなことでも同じです。
家庭のこと、会社のこと、教会のこと、すべて同じです。
③ 自分の願いではなく、神の御心を選ぶ
イエス様はゲッセマネの祈りでこう言われました。
「父よ、みこころならば、この杯を取りのけてください。
しかし、わたしの願いではなく、あなたの御心が行われますように。」
(ルカ22:42)
イエス様にも、十字架を避けたいという思いがありました。
しかしその思いを下ろし、神様の御心が成ることを願われました。
ペテロも、異邦人の家に行きたいとは思っていませんでした。
しかし神様に教えられ、聖霊の導きに従って行くようになりました。
彼は自分の意思で行ったのではなく、使命として行ったのです。
私たちが「自分の願いなのか、それとも神様の御心なのか」と迷うとき、
困難な道のほうが正しい場合が多くあります。
なぜなら、多くの場合、人は自分の願いを選びやすいからです。
自分の願いの道は、高慢につながることもあります。
しかし神様は、ご自身の栄光を表すために、人の思いとは違う方法で働かれるのです。


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