20250402早天祈祷会
聖書:使徒10:34-43
題目:すべての人に救いを与える神様
賛美:496、498
説教:高曜翰 副牧師
場所:大阪中央教会
聖書本文(使徒10:34−43)
そこでペテロは口を開いて言いました。
「神は人を分け隔てなさらない方であり、神を恐れ、義を行う者は、どの国の人であっても受け入れてくださることが、よく分かりました。
神は、すべての者の主であるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝え、イスラエルの子らに御言葉を送られました。
あなたがたも知っているとおり、この出来事はバプテスマのヨハネが洗礼を宣べ伝えた後、ガリラヤから始まり、ユダヤ全土に広まったものです。
神はナザレのイエスに聖霊と力を注がれました。
このイエスは、神が共におられたので、巡り歩きながら善いことを行い、悪魔に苦しめられている人々をことごとく癒されました。
私たちは、イエスがユダヤの地やエルサレムでなさったすべてのことの証人です。
しかし人々は、このイエスを木にかけて殺しました。
けれども神は、三日目にイエスをよみがえらせ、現れるようにされました。
ただし、すべての人にではなく、あらかじめ選ばれた証人である私たちに現れました。
私たちは、イエスが死人の中から復活された後、共に食事をしました。
そして神は、イエスが生きている者と死んだ者の裁き主として定められた方であることを、人々に宣べ伝え、証しするようにと、私たちに命じられました。
預言者たちも皆、イエスについて証ししています。
イエスを信じる者は、その名によって罪の赦しを受けるのです。」
1.本文解説
① ペテロが悟ったこと
ペテロはこう言いました。
「私ははっきり分かりました。どの国の人であっても、神を恐れ、義を行う人は神に受け入れられるのです。」
ペテロは、神の言葉を聞く準備をして待っていたコルネリオたちの姿を見て、このことを悟りました。
神様はユダヤ人だけを愛する方ではありません。
しかし当時のユダヤ人は、自分たちがアブラハムの子孫であるから神の民になったと考えていました。
ペテロはここで、それが違うということを理解したのです。
② ペテロはイエスについて語り始めた
ペテロはコルネリオたちに、イエス・キリストについて説明し始めました。
神様はイエス・キリストを通して、イスラエルの民に御言葉を送られました。
コルネリオもイエスのことを噂では聞いていたはずです。
しかしまだ、イエスが救い主であることは理解していませんでした。
バプテスマのヨハネの後に、ナザレのイエスが現れました。
神様はこの方に聖霊と力を注がれました。
そのためイエスは、多くの奇跡や癒しを行うことができました。
使徒である私たちは、イエスが行われたすべてのことの証人です。
イエスは神の力によって多くの人々を癒しました。
しかし人々は、このイエスを木にかけて殺してしまいました。
③ ペテロは復活を証言した
ペテロは、イエスが三日目によみがえったことを伝えました。
しかし復活したイエスは、すべての人に現れたわけではありません。
少数の信者にだけ現れました。
それは、その人たちを証人として用いるためでした。
多くの人は、見ても信じないからです。
ペテロたちは、イエスが神によって定められた裁き主であることを伝えるために選ばれました。
ここでペテロは「メシア」という言葉ではなく、
「生きている者と死んだ者の裁き主」という言葉でイエスを紹介しました。
これは、コルネリオたち異邦人にも理解しやすい表現でした。
さらにペテロは、預言者たちもイエスについて証言していることを説明しました。
つまり、イエスは突然現れた人物ではありません。
また、使徒たちが勝手に持ち上げて語っているのでもありません。
神様が昔から計画し、預言者を通して語ってこられた方なのです。
2.適用
① 神様はすべての人の神様
聖書はこう教えています。
「しかし、聞いているあなたがたに言う。
敵を愛し、憎む者に親切にしなさい。
のろう者を祝福し、あなたを侮辱する者のために祈りなさい。」
(ルカ6:27−28)
ペテロはコルネリオたちを見て、すべての人が神様を信じることができると悟りました。
当時のユダヤ人にとって、異邦人は汚れている存在であり、ローマは敵でした。
しかし彼らが割礼を受けていなくても、律法を守っていなくても、神様は彼らを導いておられました。
私たちも、神様はすべての人の神様であることを忘れてはいけません。
私たちを苦しめる人や、理解できない人が来たとしても、その人をもてなすべきです。
そして、その人が神様を父として知ることができるように祈りましょう。
私たちが誰かを憎み、呪うとき、神様は悲しまれます。
② イエスは平和の使者であり、裁き主でもある
聖書はこう語っています。
「わたしの言葉を聞いて守らない人があっても、わたしはその人を裁かない。
わたしが来たのは、この世を裁くためではなく、この世を救うためである。
しかし、わたしの言葉を受け入れない人には、その言葉が終わりの日にその人を裁く。」
(ヨハネ12:47−48)
ペテロはコルネリオたちに、イエスが裁き主であることを伝えました。
これは恐怖を与えるためではなく、事実を述べているのです。
私たちは、イエスが救いのために来られたことに焦点を当てることが多いです。
しかし聖書は、すべての人が裁きを受けることも語っています。
イエスが救い主になるのか、裁き主になるのかは、私たちの信仰によります。
だからこそ私たちは、神様の愛だけではなく、神様の義についても伝えなければなりません。
③ 私たちは福音の種を蒔き続ける
イエス様は「種まきのたとえ」を人々ではなく、弟子たちに説明されました。
それは、この教えが伝道者に必要なものだったからです。
福音の実りは、聞く人の心によって違います。
しかしそれは、種を蒔く人の技術の問題ではありません。
また「実る土地を選びなさい」という教えでもありません。
もし土地を選ぶのであれば、ペテロはシモンの家やコルネリオの家に行くべきではありませんでした。
しかし神様は、ペテロをその家へ導かれました。
この教えは、落胆せずに種を蒔き続けなさいという意味です。
私たちの役割は、神の栄光のために福音の種を蒔き続けることです。
成長させるのは神様の働きであって、私たちの働きではありません。
実がなるかどうかは神様に委ね、私たちは種を蒔き続けます。
その種とは、義と愛の神様、そしてイエス・キリストを宣べ伝えることです。
3.まとめ
① 神様はすべての人の神様であることを忘れないようにしましょう。
② イエス様は救い主であると同時に、裁き主でもあることを伝えましょう。
③ 私たちはどんな人に対しても、福音を宣べ伝え続けましょう。


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