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アンテオケ教会の誕生(使徒11:19-26)
고요한 2026-03-18 추천 0 댓글 0 조회 23

20250409 早天祈祷会

聖書:使徒11:19-26
題目:アンテオケ教会の誕生
賛美:94、96

説教:高曜翰 副牧師

場所:大阪中央教会


1.本文解説

① ユダヤ人以外には伝道しなかった

ステパノの出来事によって迫害が起こり、エルサレム教会の人々は各地に散らされていった。その流れの中で、ピリポはサマリヤ人への伝道やエチオピアの宦官への洗礼を行い、最終的にカイザリヤへと導かれた。

散らされた人々は、エルサレムからフェニキヤ、キプロス、そしてアンテオケへと進んでいった。アンテオケはエルサレムから約500km離れており、距離的には大阪から東京ほどに相当する。

彼らは各地のディアスポラのユダヤ人共同体を訪ねて伝道したが、その対象はユダヤ人に限られており、異邦人に福音を伝えるという発想はまだなかった。


② ギリシャ人にも福音が伝えられた

しかし、その中にキプロスやクレネ出身のユダヤ人がいて、アンテオケにおいてギリシャ人にも主イエスを宣べ伝えた。

アンテオケは当時、ローマ、アレキサンドリアに次ぐ第三の大都市であり、人口は約50万人に達していた。また偶像礼拝や神殿娼婦など、非常に堕落した宗教文化を持つ町でもあった。

そのような場所で、ギリシャ語圏のユダヤ人たちが異邦人にも福音を語ったのである。彼らはコルネリオのように「神を恐れる異邦人」に近い存在だったと考えられる。

ここで「主の手が彼らと共にあった」と記されているが、これは神ご自身が異邦人伝道を認め、導いておられたことを意味している。その結果、多くの人々が信じて主に立ち返った。


③ バルナバの派遣と教会形成

この知らせを聞いたエルサレム教会は、状況を確認するためにバルナバをアンテオケへ派遣した。

異邦人信者が増えることは喜ばしい反面、教会内の問題を引き起こす可能性もあった。過去にもユダヤ人とギリシャ語を話すユダヤ人の間で対立があったため、より複雑になることが懸念されたのである。

バルナバはレビ族出身で、ギリシャ語圏のユダヤ人であり、寛容で信仰に満ちた人物であった。彼はかつて土地を売って教会に献げ、またサウロと使徒たちをつなげた人物でもある。

彼はアンテオケに到着すると、そこで起こっていることが神の恵みによるものであると認め、喜び、信徒たちに主に対する揺るがない信仰を持ち続けるよう励ました。そして自らも奉仕を始めた。

さらに彼は、働きを共にするためにサウロをタルソまで探しに行った。タルソはアンテオケから約160km離れており、決して近い距離ではない。サウロは以前、命を狙われたため故郷に戻っていたが、バルナバは彼を連れてきた。

こうして二人は一年間アンテオケにとどまり、多くの人々を教え、弟子訓練を行った。その結果、弟子たちはこのアンテオケで初めて「クリスチャン」と呼ばれるようになった。この呼び名は元々、外部の人々が軽蔑の意味を込めて使ったものであったが、同時に彼らがキリストのように生きていた証でもあった。


2.適用

① 神様が必要な人を送ってくださる

イエスは「収穫は多いが働き人が少ない」と言われ、働き人を送ってくださるよう祈ることを教えられた。

ユダヤ人たちには当初、異邦人伝道の発想がなかった。しかし伝道の過程で、キプロスやクレネ出身の人々が加えられ、その働きを通して異邦人伝道が進められていった。またアンテオケ教会には、必要な人物としてバルナバが送られた。

このように、私たちができない部分を神様が補ってくださるのである。イエスの働きにおいても、ニコデモやアリマタヤのヨセフのような人物が備えられていた。

したがって私たちも、神様が人を送ってくださることを信じて待ち望む必要がある。祈りながら歩むとき、必要な人は神様が備えてくださる。


② 出ていくときに出会いが与えられる

一方で、ただ待つだけではなく、自ら出ていくことも重要である。

バルナバは一人では対応できないと判断し、サウロを求めて遠くタルソまで出向いた。異邦人伝道の難しさや町の堕落を感じていた可能性もあるが、彼は諦めずに助けを求めに行った。そして二人で一年間、共に働いたのである。

イエスもまた「行って、すべての国民を弟子としなさい」と命じておられる。ペテロもエルサレムにとどまらず、ルダ、ヨッパ、カイサリヤへと進みながら伝道した。

私たちも、神様の時を待つだけでなく、実際に出ていく必要がある。人と出会い、自分のしていることを伝える中で、神様が必要な出会いを与えてくださるのである。


③ クリスチャンと呼ばれる生き方

アンテオケの人々は、弟子たちを軽蔑的に「クリスチャン」と呼んだ。しかしその呼び名は、彼らがキリストに似て生きていたことの証でもあった。

パウロは、私たちが主の栄光を見つめるとき、主と同じ姿へと変えられていくと語っている。イエスに似ていくことは、内側が変えられている証拠であり、それ自体が伝道となる。

どれほど言葉が巧みで能力が高くても、本当に大切なのはイエスに似ていくことである。いくら努力しても、キリストとかけ離れているなら意味がない。


3.まとめ:伝道に必要なものは何か

伝道において重要なことは次の三つである。

第一に、神様は必要な人を送ってくださるということ。
第二に、その人に出会うためにも、私たちは実際に出ていく必要があるということ。
第三に、最も大切なのは、私たち自身がイエス・キリストに似ていくことである。

私たちも、キリストに似る者として歩み、主の働きに用いられていく者となろう。​ 

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