20250423早天祈祷会
聖書:使徒行伝12:18-25
題目:ヘロデの死
賛美:405、406
説教:高曜翰 副牧師
場所:大阪中央教会
1.本文解説
① ヘロデによる番兵の処刑
夜が明けると、兵士たちの間でペテロがいなくなったことが大きな騒ぎとなりました。ヘロデはエルサレム中を捜索させましたが、ペテロを見つけることはできませんでした。ペテロはマルコの母マリヤの家に行った後、すぐにエルサレムを離れていたため、朝まで誰にも気づかれなかったのです。
ヘロデは番兵たちを取り調べましたが、何の情報も得られなかったため、彼らを処刑するよう命じました。任務に失敗した兵士を処刑するのは当時の一般的な処置であり、ペテロの監視に関わっていた16人全員が処刑されたと考えられます。
この行動には二つの大きな罪が含まれています。一つは、神が行われた奇跡を人間の失敗として隠そうとしたことです。もう一つは、そのために罪のない兵士たちに責任を負わせて命を奪ったことです。ペテロの脱出の責任は、兵士ではなくヘロデ自身にありました。
② ヘロデの高慢と死
その後、ヘロデはカイザリヤに下り、そこで神のように振る舞いました。
これはローマ皇帝クラウディウスを称える祭りの場での出来事でした。会場はヘロデ大王が建てた円形競技場であり、ヘロデと皇帝クラウディウスは良好な関係にありました。かつてヘロデは前の皇帝を批判したことで投獄された経験もあります。
この時、ツロとシドンの人々がヘロデに和解を求めてやって来ました。彼らは食料をヘロデの支配地域に依存していたため、怒りを解いてもらう必要があったのです。そのため、王の侍従官ブラストに取り入って面会を実現しました。
ヘロデが演説を行うと、人々は「これは神の声だ。人間の声ではない」と叫びました。歴史家ヨセフスによれば、人々はこれまで以上に彼を神のように敬うと宣言したのです。しかしヘロデはその賛美を拒まず、神に栄光を帰しませんでした。
その結果、主の使いが彼を打ち、彼は虫に食われて死にました。これは暴君の最期を表す表現でもあり、ヨセフスは彼が激しい苦痛の中で五日間苦しんで死んだと記しています。原因としては寄生虫や腹膜炎などが考えられています。
ヘロデの死後、ユダヤは再びローマ総督によって統治されることになりました。
③ 神の言葉の前進
ヘロデの迫害にもかかわらず、神の言葉はますます広まりました。
ヤコブは殺され、ペテロは姿を消しました。しかし、絶大な権力を持っていたヘロデ自身は滅びました。これは、神の働きが人間の力によって止められることがないことを示しています。
また、バルナバとサウロはエルサレムに献金を届けた後、マルコと呼ばれるヨハネを伴ってアンテオケへ戻りました。エルサレム教会が困難に直面していた中で、アンテオケ教会が支え、神の働きは続いていったのです。
2.適用
① 神の栄光を奪う罪
神の栄光を奪う者には、必ず裁きが下されます。
ヘロデは多くの場面で神の栄光を奪いました。神の言葉を伝えるヤコブを殺し、神の働きを妨げようとしました。ユダヤ人の歓心を得るために、ペテロも処刑しようとしました。さらに、ペテロの奇跡的な脱出を人間の失敗として隠し、番兵たちを処刑しました。そして最終的には、人々の「神の声だ」という賛美をそのまま受け入れました。
すべての人がすぐに裁かれるわけではありませんが、神の栄光を奪う者の結末は明らかです。
イエスは、人に見せるために善行をしてはならないと教えられました(マタイ6:2)。また、救いは行いによるのではなく、誇ることがないためであるとも語られています(エペソ2:9)。したがって、私たちはすべての栄光を神に帰すべきです。
② 神の働きは止められない
どれほど激しい迫害があっても、神の働きが止まることはありません。
重要な人物が亡くなっても、状況が困難になっても、神の計画は前進し続けます。私たちに求められているのは、自分を誇ることではなく、その働きに参与し続けることです。
イエスの宣教も、十字架の死によって終わったのではなく、復活と昇天へと続きました。弟子たちもまた、命をかけて福音を伝え続けました。人は私たちの働きを止めることができても、神の計画を止めることはできません。
たとえ命を奪われることがあっても、その瞬間まで私たちは神の働きの中にあるのです。
だからこそ、「長生きすること」ではなく、「生きている間、神を喜ばせること」が重要です。世俗的な価値観ではなく、信仰的な視点で生きる必要があります。
3.まとめ
私たちは迫害を恐れる必要はありません。神の栄光を奪う者は、神ご自身が裁かれます。
私たちはペテロのように神の導きを信じ、与えられた使命を果たし続けましょう。
そして、神に呼ばれるその日まで、御言葉を伝え続ける歩みをしていきましょう。


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