20250505野外礼拝
聖書:マタイ6:28–32
題目:自然に目を向けよう
賛美:478、559
説教:高曜翰 副牧師
場所:大阪中央教会
1.序文
(1)会社員時代の経験
私が会社員として働いていた頃、朝6時30分に家を出て、夜10時30分に帰るという生活をしていました。
毎日が忙しく、気づけば心に余裕がなくなっていました。
「忙しい」という字は、「心を亡くす」と書きますが、まさにその通りです。
あるとき、家の前に咲いていた桜が、いつの間にか咲き、そして散っていたことに気づきました。
それほどまでに、周りを見る余裕がなくなっていたのです。
忙しさの中にいると、視野はどんどん狭くなり、周りの変化に気づけなくなります。
(2)仕事の中で与えられた恵み
しかしその仕事の中でも、良い経験がありました。
奈良県内を車で移動し、ときには山奥まで行くことがありました。
その中で、木々や虫など、自然に触れる機会が与えられました。
自然を見ていると、心が不思議と休まります。
そして、神様が造られたものを通して、神様ご自身を感じることができました。
2.本文解説
(1)「思いわずらうな」という命令
イエスは「何を着ようかと思いわずらうな」と言われました。
これは「働くな」という意味ではありません。
私たちは日々の生活の中で、働く必要があります。
しかし、どれだけ心配しても、自分の寿命を延ばすことはできません。
むしろ、過度な心配は心と体を疲れさせ、結果的に寿命を縮めてしまいます。
ここでイエスは、心配すること自体が「信仰の薄さ」の表れであると指摘されています。
(2)野の花を見よ
イエスは続けて、「野の花がどうして育っているか考えてみなさい」と言われました。
野の花は働きもせず、糸を紡ぐこともしません。
それでも神様がその一つ一つを美しく装っておられます。
どれほど栄華を極めたソロモンでさえ、その花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
もし神様が野の花をそのように養っておられるなら、
それよりもはるかに大切な私たちを、なおさらよくしてくださらないはずがあるでしょうか。
つまりイエスは、
「神を知らない人のように思い悩むな」と語っておられるのです。
そして、自然を見ることを通して、神様を見るように招いておられます。
(3)ソロモンの姿
ソロモンは、神の前に一千回のいけにえをささげた後、
「何を求めるか」と問われました。
彼は自分のための富ではなく、
民の訴えを正しく聞き分ける知恵を求めました。
これは、神様を見ていたからこそできた選択です。
その結果、神は知恵だけでなく、求めていなかった富までも与えられました。
(4)ヤコブの姿
一方で、ヤコブは兄エサウを恐れていたとき、
神は彼に天の軍勢を見せて安心させようとされました。
しかしヤコブは神を見るよりも、自分の知恵に頼りました。
贈り物を分けたり、家族を分けたりして、なんとか状況を乗り越えようとしたのです。
結果として、神はヤコブの腿を打たれ、彼は足を引きずるようになりました。
それは、神だけに頼るように導くためでした。
3.適用
(1)自然に目を向けよう
私たちは、もっと自然に目を向ける必要があります。
自然は、神様の御手によって造られたものです。
そこに目を向けるとき、神様の働きが見えてきます。
そして、神様を見るとき、私たちの心には平安が与えられます。
祈るときに「天の父なる神様」と呼びかけるだけでも、
その方の大きな腕に包まれていることを思い、安心することができます。
問題が解決したから安心するのではなく、
神様を見るからこそ、安心することができるのです。
(2)忙しくて心を失っている人へ
もし、忙しさの中で心を失っているなら、
立ち止まって自然を見てください。
その中に、神様の愛と御手を見ることができます。
神様は、誰よりもあなたを愛しておられます。
その神様の腕の中で、どうか安らぎを受け取ってください。
まとめ
私たちは、日々の生活の中で思い悩みやすい存在です。
しかしイエスは、「思いわずらうな」と語られました。
その代わりに、野の花を見よ、自然を見よ、と招いておられます。
自然を通して神様を見るとき、
私たちの心は守られ、平安に満たされます。
今日は、自然に目を向け、神様を見上げる一日としましょう。


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