20250506早天祈祷会
聖書:使徒13:42–52
題目:嫉妬に負けないパウロとバルナバ
賛美:321、333
説教:高曜翰 副牧師
場所:大阪中央教会
1.本文解説
(1)再び語ってほしいという願い
パウロとバルナバが会堂を出るとき、人々は次の安息日にも同じ話をしてほしいと願いました。
その内容は、イエスが約束のメシアであること、
神がイエスを死人の中からよみがえらせたこと、
そしてイエスによって罪が赦されるという福音でした。
また、先祖やエルサレムの指導者たちのように、神に反抗してはならないという警告も含まれていました。
その結果、多くのユダヤ人や異邦人がパウロとバルナバについてきました。
彼らはさらに話を聞きたいと願ったのです。
パウロたちは、彼らに「神の恵みにとどまり続けるように」と勧めました。
当時のユダヤ人は律法によって義を得ようとしていましたが、
パウロたちは恵みと信仰による救いを強調したのです。
(2)次の安息日に起こった出来事
次の安息日になると、町のほとんどの人々が神の言葉を聞くために集まりました。
すると、それを見たユダヤ人たちは嫉妬に燃え、
パウロの語ることに反対し、激しく罵りました。
説教は妨害され、続けることが難しくなりました。
その中で、パウロとバルナバは大胆に宣言しました。
まず神の言葉はユダヤ人に語られるべきでしたが、
彼らがそれを拒んだため、自分たちは異邦人に向かうというのです。
神の計画は、ユダヤ人から始まり、次に異邦人へと広がっていくものでした。
ピシデヤのアンテオケでは、一部の人は信じましたが、多くのユダヤ人は拒絶しました。
(3)異邦人の喜びと福音の広がり
この宣言を聞いた異邦人たちは大いに喜び、主の御言葉をほめたたえました。
彼らにとって、律法の重荷から解放されることは大きな喜びでした。
割礼も必要なく、信仰によって救われるという福音を受け入れたのです。
こうして、主の御言葉はその地方全体に広まっていきました。
(4)迫害と次の地への出発
しかし、ユダヤ人たちは黙っていませんでした。
町の有力者たちを扇動し、パウロとバルナバを迫害し、その地方から追い出しました。
彼らは権力を用いて二人を排除したのです。
パウロとバルナバは、彼らに対して足のちりを払い落としました。
これは関係を断つ象徴的な行為です。
そして彼らは、南東へ約135km離れたイコニオムへと向かいました。
しかしそのような状況の中でも、弟子たちは喜びと聖霊に満たされていました。
一部のユダヤ人と多くの異邦人が信じたことが、大きな喜びとなっていたのです。
2.適用
(1)嫉妬ではなく神に目を向けよう
私たちは、嫉妬する相手ではなく、神様に目を向けるべきです。
嫉妬は非常に恐ろしい感情です。
ピシデヤのアンテオケのユダヤ人は、嫉妬によってパウロとバルナバを追い出しました。
また、エルサレムの指導者たちは嫉妬によってイエスを十字架につけました。
人は、自分より劣っていると思っていた相手が優れていると、受け入れられないことがあります。
その結果、嫉妬は人を傷つけ、時には滅ぼす力を持つのです。
(2)嫉妬する人を相手にしない
しかし、嫉妬する人を相手にする必要はありません。
パウロとバルナバは、反対するユダヤ人たちに執着せず、その場を離れました。
イエスもまた、サドカイ人やパリサイ人と無駄に争うことはされませんでした。
嫉妬する人は、自分の弱さを隠すために相手を攻撃します。
そして、こちらが誇りや優越感を持てば、さらに嫉妬を強めてしまいます。
弱い者が強い者に対抗する簡単な方法は、攻撃することです。
たとえば、昔のバレーボールでは、ヨーロッパ側によってルールが何度も変更されました。
しかし日本はそれに文句を言うのではなく、努力によって対応しました。
(3)神に集中し続けよう
嫉妬されるときこそ、神様に集中することが大切です。
パウロとバルナバは、追い出されたことに怒るのではなく、
次の場所へと進み、むしろ喜びと聖霊に満たされていました。
たとえ135kmも移動することになっても、
それを苦しみではなく、使命として受け止めたのです。
イエスもまた、人を恨むことなく十字架の道を進まれました。
相手が何を言おうとも、それに振り回されるのではなく、
神様に目を向け続けることが最も大切です。
3.まとめ
私たちは、人の評価や嫉妬に心を奪われやすい存在です。
しかし、そのような人々に集中するのではなく、神様に集中することが求められています。
神様が私たちを守ってくださいます。
だからこそ、私たちは与えられた使命に集中することができるのです。
嫉妬ではなく神に目を向け、使命に生きる一日としましょう。


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