20250508早天祈祷会
聖書:使徒14:8–19
題目:誰に集中させるか?
賛美:456、453
説教:高曜翰 副牧師
場所:大阪中央教会
1.本文解説
(1)ルステラでの癒し
パウロはルステラの路上で福音を語っていました。
ルステラは幹線道路から外れた小さな町で、イコニオムから約30kmの場所にあります。ユダヤ人の人口が少なく、会堂がなかったため、パウロは道端で伝道を行いました。
そこに、生まれつき足が不自由で、一度も歩いたことのない人が座っていました。彼はパウロの話を熱心に聞いていました。
パウロはその人を見つめ、「この人には癒される信仰がある」と見抜き、大声で「自分の足でまっすぐ立ちなさい」と命じました。
するとその人は飛び上がって歩き出しました。
この奇跡を見た群衆は驚き、パウロたちを神々だと叫び始めました。
(2)神として祭り上げられるパウロとバルナバ
群衆はバルナバをゼウス、パウロをヘルメスと呼びました。
ゼウスは神々の王、ヘルメスは神の言葉を伝える存在と考えられていたからです。
この背景には、ゼウスとヘルメスが人間の姿でこの地方を訪れたという伝承がありました。昔、その神々をもてなした老夫婦だけが祝福され、町は滅びたと伝えられていたため、人々は同じ失敗を繰り返さないようにしようとしたのです。
そのため、ゼウス神殿の祭司が雄牛や花輪を持ってきて、パウロたちにいけにえをささげようとしました。
ここで問題なのは、福音ではなく「福音を伝える人」に人々の関心が向けられてしまったことです。
これを見たパウロとバルナバは衣を裂き、群衆の中に飛び込んで叫びました。
「どうしてこんなことをするのか。私たちもあなたがたと同じ人間である。天と地と海と、その中のすべてを造られた生ける神に立ち返りなさい。」
彼らは、聖書の知識がない人々にも分かるように、創造主なる神を指し示しました。
(3)一転して迫害へ
ようやく群衆を落ち着かせたその時、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちがやって来ました。
彼らはパウロたちを追ってきており、強い嫉妬と怒りを抱いていました。
そして群衆を扇動し、パウロたちを疑わせました。
人々はパウロたちを詐欺師のように思い、ついには石で打ちました。
パウロは死んだと思われ、町の外へ引きずり出されてしまいました。
先ほどまで「神」として崇めていた人々が、今度は「石で打つ」という極端な変化を見せたのです。
2.適用
(1)人ではなく神に導くこと
宣教の目的は、人々を自分に引きつけることではなく、神に導くことです。
イエスは、人々が自分を王にしようとしたとき、山へ退かれました。
それは、人々の称賛を受けるためではなく、神の栄光を現すために来られたからです。
同じように、パウロも人々が自分を礼拝しようとしたとき、それを必死に止めました。
なぜなら、自分が高められることで神の栄光が隠れてしまうからです。
私たちも同じです。
人々の関心が自分に向くのではなく、神に向くように導かなければなりません。
異端は人に注目させます。
また教会の中でも、人を自分に集めようとする誘惑は常にあります。
しかし私たちは、人々が自分を忘れても、神に向かうならそれを喜ぶべきです。
3.まとめ
パウロとバルナバは、自分たちに向けられた称賛を拒み、すべてを神に向けました。
私たちも同じように、
人ではなく神に人々の目を向けさせる者となりましょう。
そして、すべての栄光が神に帰されるように歩んでいきましょう。


댓글0개