20250514水曜礼拝
聖書:出エジプト3:1-12
題目:モーセの召命
賛美:311、320
説教:高曜翰 副牧師
場所:大阪中央教会
1.導入
本日は「神の導き」について考えます。
神の導きはどのように示されるのでしょうか。また私たちはそれにどのように応答すべきでしょうか。
モーセが燃える柴を通して神と出会った出来事は、この問いに対する重要な答えを示しています。
ここでは、モーセの経験から学ぶべき三つの要点に注目し、私たちの信仰生活に適用していきます。
2.本文解説
(1)モーセの背景(3:1)
モーセは、妻の父であるミデヤンの祭司エテロの羊を飼っていました。
彼はもともとヘブル人でありながらエジプトの王子として育てられ、当時最高の地位にいました。しかし40歳の時、同胞を守ろうとしてエジプト人を殺してしまいます。
その結果、同胞からも受け入れられず、殺人者としてエジプトから逃亡することになりました。そして失意の中、偶像礼拝を行うミデヤン人の祭司のもとで、40年間を過ごしていたのです。
(2)燃える柴に現れる神(3:2-5)
神は、燃えているのに燃え尽きない不思議な柴を通して現れました。
これは単なる自然現象ではなく、神の臨在を示すものであり、この世の常識を超えた特別な存在であることを表しています。
神がモーセに「靴を脱げ」と命じたのは、その場所が聖なる地であり、礼拝を受けるにふさわしい方がそこにおられることを示すためでした。
(3)契約の神としての自己紹介(3:6)
神はご自身を「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」として紹介されました。
これは突然現れた神ではなく、長い歴史の中で契約を守り続けてきた、信頼できる神であることを意味します。
また「イスラエルの神」ではなく、個人の名前を挙げていることから、神は民族的・集団的にだけでなく、個人一人ひとりと深く関わるお方であることが分かります。
(4)苦しみを知る神(3:7)
神は「見た」「聞いた」「知っている」と語られました。
これは、神が遠くから眺めるだけの存在ではなく、民の苦しみを深く理解し、共感されるお方であることを示しています。
神は単なる観察者ではなく、苦しむ者に寄り添い、関わるお方です。
(5)救いの計画と神の介入(3:8-9)
神はご自身が「下って来て」民を救うと宣言されました。
これは神がただ見守るだけでなく、歴史の中に積極的に介入されることを意味します。
さらに、導き入れる地として「乳と蜜の流れる地」が語られています。これは単なる解放ではなく、豊かさと祝福に満ちた新しい未来への導きを示しています。
また「今」という言葉は、神のタイミングが完全であることを表しています。人間には長く感じる苦しみの時間も、神の計画の中では無駄がありません。
(6)モーセへの召命(3:10)
神はモーセに、ファラオのもとへ行くよう使命を与えました。
神はご自身で救いを成し遂げることができるお方ですが、それにもかかわらずモーセを用いられます。
40年間逃亡生活を送り、弱り果てたモーセが選ばれたのは、神が弱さを持つ者を通してご自身の御業を現されるからです。
(7)モーセの拒絶(3:11)
モーセは「私は何者なのでしょうか」と答えました。
これは一見謙遜のようですが、その背後には過去の失敗による劣等感があります。また神の言葉に対してためらうことは、高慢とも受け取ることができます。
(8)神の約束としるし(3:12)
神は「わたしは必ずあなたと共にいる」と語られました。
モーセは一人で遣わされるのではなく、神と共にファラオの前に立つのです。
さらに「この山で神に仕える」という約束が、召命の確かな証しとして与えられました。
3.適用
(1)神は私たちに個人的に語りかける
神はモーセに語りかけたように、私たち一人ひとりにも語りかけられます。
モーセは日常の中で神の声を聞き、応答しました。私たちも日々の生活の中で、神の声に耳を傾ける姿勢が求められています。
そのためには祈りの時間を大切にし、御言葉に耳を傾けることが必要です。祈りは神との対話であり、御言葉はその対話のための言語です。
神が語っておられないのではなく、私たちが聞く準備をしていないことが問題です。聖書を学び、その言葉を用いて祈るとき、神との関係は深まっていきます。
(2)神は弱さを知りつつ使命を与える
神はモーセの弱さも過去もすべて知っておられました。それでも彼を召し、使命を与えられました。
神が私たちを呼ばれるのは、単に慰めるためではなく、使命に生きるためです。
神はすべてをご自身で成し遂げることができるにもかかわらず、あえて私たちを用いられます。それは、私たちを通してご自身の栄光を現し、その栄光を私たちに体験させるためです。
したがって、私たちは使命を重荷としてではなく、神の愛の表れとして受け取るべきです。
(3)神は行動する信仰を求めておられる
モーセは自分の無力さを感じましたが、神は「わたしはあなたと共にいる」と約束されました。
重要なのは「自分が何者か」ではなく、「誰と共にいるか」です。
この世では能力や財産、人脈が重視されますが、神の国では違います。私たちが神の子であり、神と共にいることこそが最も重要です。
神は「有って有る者」としてご自身を示されました。その神が共におられるなら、私たちは恐れる必要はありません。
自分にはできないと思う時こそ、「神がおられるからできる」と信じて行動することを、神は喜ばれます。
4.結論
神は私たちの過去や弱さにもかかわらず、召命を与え、共に歩まれるお方です。
その声に応え、信仰を行動に移すとき、神の栄光が現れます。
私たちもモーセのように、神の呼びかけに「はい、主よ」と応答していきましょう。


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