20250522早天祈祷会
聖書:使徒16:1-5
題目:テモテの決断
賛美:449、450
説教:高曜翰 副牧師
場所:大阪中央教会
1.本文
「それから彼はデルベに行き、次にルステラに行った。そこにテモテという名の弟子がいた。信者のユダヤ婦人を母とし、ギリシヤ人を父としており、ルステラとイコニオムの兄弟たちの間で、評判のよい人物であった。
パウロはこのテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、まず彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることは、みんな知っていたからである。
それから彼らは通る町々で、エルサレムの使徒たちや長老たちの取り決めた事項を守るようにと、人々にそれを渡した。
こうして諸教会はその信仰を強められ、日ごとに数を増していった。」
(使徒行伝16:1−5)
2.本文解説
① デルベとルステラでの出会い
パウロたちはデルベに行き、続いてルステラに向かいました。
まずデルベは、第一回宣教旅行でパウロが最後に訪れた町であり、大きな迫害もなく多くの人々が弟子となった場所です。
次にルステラは、パウロが石打ちに遭い、死にそうになった町です。そのような場所で、テモテと出会うことになります。おそらく彼は20歳前後であったと考えられます。
テモテの背景は次の通りです。
またテモテは、ルステラだけでなくイコニオムでも評判の良い人物でした。
つまり彼は家庭の中だけでなく、教会共同体の中でも信仰的に成熟しており、若いながらも信頼されていた人物でした。
② テモテの召命と割礼の意味
パウロはこのテモテを同行させることにしました。
その際、まず割礼を受けさせています。
ここで疑問が生まれます。
エルサレム会議では「割礼は救いに必要ない」と決定されていたはずです。
ではなぜ行ったのでしょうか。
それは救いのためではありません。
宣教の妨げとならないためです。
ユダヤ人宣教において、テモテは次のように見られていました。
-
母がユダヤ人であるため、ユダヤ人と認識される
-
しかし父がギリシャ人であり、割礼を受けていない
-
そのため「不完全なユダヤ人」と見なされる可能性があった
その結果、ユダヤ人たちが福音を聞く際の障害となることが考えられました。
そこでパウロは、宣教の妨げにならないように割礼を受けさせたのです。
これはテモテにとって、自分の権利やプライドを手放し、福音のために自分を献げる決断でした。
テモテは若いながらも、従順と謙虚さを示したのです。
また、自分の出自に関する問題を必要以上に悩むのではなく、主の働きのために受け入れました。
③ 宣教チームの拡大と教会の成長
こうしてパウロ、シラス、そしてテモテの三人による宣教が始まりました。
彼らはエルサレム会議で決定された内容を伝えながら、各地の教会を訪れました。
訪問した地域は、イコニオムやピシディアのアンテオケなどです。
伝えられた内容は以下の通りです。
-
恵みと信仰による救い
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異邦人信者のための配慮としての規定
これは、ユダヤ人信者と異邦人信者の間の関係を保つためのものでした。
またここで重要なのは、エルサレム教会が絶対的権威ではないということです。
あくまで助言としての役割であり、各地域の教会はキリストに直接つながっていました。
その結果、教会は次のように成長しました。
-
信仰が強められた
-
教会の数が増えた
-
日ごとに成長が見られた
つまり教会は、内面的にも外面的にもバランスよく成長していったのです。
3.適用
① 宣教のための決断を選ぶ
テモテは、福音宣教のために割礼を受けるという決断をしました。
これは人間的に見れば、次のように誤解される可能性があります。
-
律法主義者のように見える
-
臆病で妥協したように見える
しかし彼は、パウロの指導のもとで柔軟に従いました。
イエスご自身も同じように、次のように語られました。
「わたしが律法や預言者を廃するために来たと思ってはならない。成就するために来たのである。」
(マタイ5:17)
イエスもまた、神の愛と救いを伝えるために律法を成就されました。
人から見ると一貫性がないように見える場面もありましたが、それは聖霊の導きの中での柔軟な従順でした。
② 人の評価より神の御心を選ぶ
私たちは人の目を気にしすぎる必要はありません。
イエスはこう言われました。
「もしわたしが自分自身について証言するなら、その証言は真実ではない。」
(ヨハネ5:31)
これは、人の評価に依存する必要がないことを意味します。
自分をよく見せるための決断は、神の前では真実とは言えません。
大切なのは、
-
その決断が神のためか
-
人にどう見られるかではなく神の御心か
ということです。
4.まとめ
テモテのように、
主のために大胆に、そして柔軟に決断する者となりましょう。
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