20250613早天祈祷会
聖書:使徒17:1-9
題目:妬みを恐れない信仰
賛美:515、516
説教:高曜翰 副牧師
場所:大阪中央教会
聖書朗読(使徒行伝17:1–9)
「一行は、アムピポリスとアポロニヤとを通って、テサロニケに行った。ここにはユダヤ人の会堂があった。パウロは例によってその会堂に入り、三つの安息日にわたり聖書に基づいて彼らと論じ、キリストは必ず苦難を受け、死人の中からよみがえるべきこと、また『わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそキリストである』と説明し、論証した。ある人々は納得して、パウロとシラスに従った。その中には信心深いギリシヤ人が大勢おり、貴婦人たちも少なくなかった。しかしユダヤ人たちはねたみにかられ、町のならず者を集めて暴動を起こし、町を騒がせ、ヤソンの家を襲って二人を民衆の前に引き出そうとした。しかし見つからなかったので、ヤソンと数人の兄弟を市の当局者の前に引き出して叫んだ。『天下をかき回してきた者たちがここにも来ています。ヤソンは彼らを迎え入れました。彼らは皆、カイザルの詔勅に背いて、イエスという別の王がいると言っています。』これを聞いた群衆と市の当局者は不安に感じた。そしてヤソンたちから保証金を取って釈放した。」
1.本文解説
(1)テサロニケに至るまでの道のり
パウロたちはアムピポリスとアポロニヤを通ってテサロニケに到着しました。アムピポリスはピリピから西に約50km、アポロニヤはそこからさらに西に約40kmの場所にあります。彼らはローマの主要道路であるイグナチオ街道を通って移動しました。
これらの町を通過した理由として、ユダヤ人の会堂が存在しなかった可能性が考えられます。一方、テサロニケには会堂がありました。
テサロニケは、アレクサンダー大王の異母の妹「テッサロニケ」に由来する都市名であり、マケドニア州の首都として約20万人の人口を持つ大都市でした。また、タルソやアテネと同様に「自由都市」とされていました。自由都市とは、自治権が与えられ、選挙による議会政治が行われ、自前の貨幣を鋳造でき、ローマ軍が常駐していない都市のことを指します。
(2)会堂での宣教と人々の反応
パウロはいつものように会堂に入り、三つの安息日にわたって聖書に基づいて議論し、説明しました。ここで用いられたのは旧約聖書のメシア預言であり、「イエスこそキリストである」ということが論証されました。
その結果、ある人々は納得して信じ、パウロとシラスに従いました。ユダヤ人の中からも信じる者が現れ、その中にはヤソンも含まれていたと考えられます。また、偶像礼拝の背景を持つギリシャ人が大勢信じ、さらに多くの貴婦人たちも信仰に導かれました。
しかし一方で、ユダヤ人たちはこれを妬み、町のならず者を集めて暴動を起こしました。彼ら自身が直接行動するのではなく、人々を扇動する形で混乱を引き起こしたのです。そして、ヤソンの家を襲撃しました。そこは伝道の拠点となっていたと考えられます。目的はパウロとシラスを捕らえることでした。
(3)ヤソンたちへの訴えと裁判
パウロとシラスが見つからなかったため、ヤソンと数名の兄弟たちが市の当局者の前に引き出されました。ここで登場する当局者は、ピリピのようなローマの長官ではなく、自由都市における選挙で選ばれた役人たちでした。
訴えの内容は、「天下をかき回している者たち」「カイザルの命令に背いて、イエスという別の王を立てている」というものでした。これは比喩的で誇張された表現であり、彼らを政治犯として仕立て上げる意図がありました。
この背景には、数ヶ月前にローマからユダヤ人が追放された出来事があり、当局者たちは非常に敏感になっていました。
最終的に、ヤソンたちは保証金を支払うことで釈放されました。これは証拠が不十分で訴えを退けたい一方で、都市が反逆罪に巻き込まれることを恐れたためです。また、パウロとシラスを去らせることを約束させ、その履行が確認されれば保証金は返還されるという措置でした。
2.適用:妬みを恐れない信仰
「ねたみと党派心のあるところには、混乱とあらゆる悪がある。」(ヤコブ3:16)
(1)福音は妬みを引き起こす
福音を語るとき、人々から妬まれることがあります。それは内容が愚かだからではなく、むしろ人の心に影響を与える力があるからです。
もし本当に無意味なものであれば、人はそれを無視するはずです。しかし福音は、弱い者を通して力を現し、自分を強いと思っている人々の心に揺さぶりを与えるため、嫉妬が生まれるのです。
(2)イエスも妬まれた
イエス・キリストご自身も、宗教指導者たちの妬みによって十字架につけられました。彼らは自分たちの権威が揺らぐことを恐れ、イエスを受け入れることができなかったのです。
パウロたちも同じように、「別の王を立てている」と訴えられました。これはイエスと同じ構図の迫害でした。
(3)神の言葉の力を知る
神の言葉は、嫉妬を生み出すほどの力を持っています。したがって、「キリスト教は弱者の宗教である」という見方は正確ではありません。
むしろ、神の言葉には人の心を揺り動かし、変える力があるからこそ、反発や嫉妬が起こるのです。
だからこそ、私たちは人の声ではなく、神の言葉に耳を傾けるべきです。特に反対や妬みがあるときこそ、なおさら神様の語りかけに従う必要があります。
3.まとめ
私たちが妬まれるとき、それは神様に用いられているしるしでもあります。妬みを感じる状況の中にあっても、それは神の計画の中に生きている証拠です。
そのとき恐れるのではなく、むしろ喜びましょう。神様はそのような私たちを通して、この世界を変えようとしておられるのです。


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