20250618早天祈祷会
聖書:使徒17:16-21
題目:アテネでの伝道
賛美:487、488
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
1.本文解説
① パウロはアテネの偶像を見て憤りを覚えた
パウロはアテネの町に偶像があふれているのを見て、心に強い憤りを感じました。
アテネはアカヤ州に属し、民主主義発祥の地として知られ、約500年前には黄金時代を築いた都市です。またローマ時代においては、アレキサンドリアやタルソと並ぶ学問の中心地でもありました。ある人は「アテネでは人間よりも偶像の方が多い」と言うほど、偶像があふれていた町でした。
このような状況の中で、パウロはシラスやテモテを待つことなく、伝道を開始します。偶像の多さが、彼を突き動かしたのです。会堂ではユダヤ人や信心深い人々に語り、広場では毎日出会う人々に福音を伝え続けました。
本来、パウロはローマに行く計画を持っていたと考えられます。しかし当時、ローマからユダヤ人追放命令が出されており、またマケドニア州でも安全に移動することが難しい状況にありました。そのような中で、神の導きによってアテネでの伝道が始まったのです。
② 哲学者たちにも福音が語られた
アテネでは、当時の代表的な哲学者たちにも福音が伝えられました。
エピクロス派は快楽主義を重んじ、欲望や苦しみ、死の恐怖から解放された平静な状態を目指していました。彼らは、たとえ神々が存在しても人間には関心を持たないと考え、宗教を否定し、死はすべての終わりであると教えていました。
一方、ストア派は禁欲主義を重んじ、自然(神々)に従うことで感情に左右されない生き方を目指しました。外部の出来事、すなわち運命は人間には制御できないため、それを受け入れることが重要であり、内面は理性によって制御できると考えていました。
しかし、彼らはパウロの語る福音を理解することができませんでした。パウロは「おしゃべり」とさえ評価されます。この言葉は、鳥が地面に蒔かれた種をついばむ様子を表しており、あちこちから知識を拾い集めて語る軽い教師という意味を含んでいます。つまり彼らは、パウロの語る福音の本質を理解できなかったのです。
③ アレオパゴスで語る機会が与えられた
やがてパウロはアレオパゴスへ連れて行かれ、新しい教えについて説明するよう求められます。
その目的は、真理を求めるためというよりも、新しい話を聞きたいという好奇心によるものでした。アテネの人々は非常に知識欲が強く、新しい思想や教えを聞くこと自体を楽しんでいたのです。自由市民は幼い頃から読み書きや音楽、哲学を学ぶ教育を受けていました。
アレオパゴスとは、マルスの丘という場所を指す場合と、評議会そのものを指す場合があります。この評議会は約30人の議員によって構成され、ローマの元老院のような役割を担っていました。宗教や道徳、教育に対する権威を持ち、教師たちの教えを吟味していました。
パウロがここに連れて来られたのは裁かれるためではなく、単に話を聞くためでした。しかし、人々が真剣に関心を持っていたわけではありません。また当時、新しい宗教を教えることはローマでは違法とされていたため、危険も伴う場面でした。
それでもパウロにとって、ここは福音を語る貴重な機会となったのです。
2.適用
① 憤りを伝道の力へと変える
パウロは偶像に満ちた町に対する憤りを、伝道の情熱へと変えました。アテネの人々もまた、救われるべき存在であると理解していたからです。
「弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。」(Ⅰコリント9:22)
パウロの姿勢は、相手を救うことにありました。イエスを知らない人々に対して上から教えるのではなく、自らを低くし、相手に合わせて福音を伝えました。そのために彼はアレオパゴスにも進んで行ったのです。
② 理解されなくても語り続ける
パウロは、自分自身は柔軟に変えながらも、福音の内容は決して曲げませんでした。
「わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。」(ローマ1:16)
彼は相手を批判することなく、しかし大胆に福音を語りました。たとえ理解されなくても、語ることをやめなかったのです。
③ 一人でも恐れずに語る
このとき、パウロのそばにはシラスもテモテもいませんでした。それでも彼は一人で会堂や広場に立ち、福音を語り続けました。
「御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。」(Ⅱテモテ4:2)
たとえ誰にも理解されなくても、あきらめずに語り続ける姿がここにあります。
3.まとめ
私たちも、多くの神々や価値観に囲まれている日本に生きています。そのような中で、パウロのように相手を見下すことなく、自分を柔軟に変えながらも、福音そのものはしっかりと語り続けていく者でありましょう。


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