20250626早天祈祷会
聖書:使徒18:12-18
題目:神様の計画
賛美:382、383
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
1.本文解説
① ユダヤ人たちがパウロを法廷に訴える
アカヤ州の総督ガリオの時代、ユダヤ人たちは一斉に立ち上がり、パウロを法廷へと引き出しました。
ガリオはネロ皇帝の家庭教師であったセネカの兄であり、「非常に魅力的な人物」と高く評価されていました。彼は紀元51年に総督となり、病気のため短期間で退任した人物です。
ユダヤ人たちは、新しい総督のもとであれば訴えが通ると考え、パウロがローマの法律に反して人々に神を拝ませていると訴えました。ユダヤ人同士の宗教的指導は問題ありませんでしたが、ローマ市民への影響を問題視したのです。
しかしガリオは、この問題を刑事事件ではなく、ユダヤ教内部の問題と判断しました。そのため訴えを取り上げず、彼らを法廷から追い出しました。
② ソステネへの暴行とガリオの無関心
その後、人々は会堂管理者ソステネを捕え、法廷の前で打ちたたきました。
ソステネは、以前の会堂司クリスポの後任であったと考えられます。クリスポが福音を受け入れたため、その職を離れた可能性があります。ソステネはこの出来事で苦しみを受けましたが、後にパウロの同労者となったことが記されています(Ⅰコリント1:1)。
この暴行には、ユダヤ人に対する反感を持っていたローマ人たちの感情も影響していたと考えられます。ユダヤ人同士の争いに巻き込まれることへの不満が爆発したのです。
しかしガリオは、この出来事に対して関与しませんでした。彼は小さな暴力には関わらないという、明確な線引きを持っていた人物でした。
③ パウロの長期滞在と出発
この一連の出来事の後、ユダヤ人たちの勢いは弱まり、パウロは引き続きコリントに滞在することができました。
ガリオの判断は非常に重要であり、ローマ帝国内における他の地域にも影響を与えるものでした。これにより、キリスト教の伝道はローマ法のもとで一定の自由を得ることになりました。
やがてパウロは、兄弟たちに別れを告げ、シリアへ向けて出発します。このとき、プリスキラとアクラも同行しました。一方でシラスとテモテはアカヤに残ったと考えられます。
これはパウロの第二回宣教旅行の終わりを意味します。
またパウロは、誓願を立てていたため、ケンクレヤで髪を剃りました。これはナジル人の誓願に関係するもので、一定期間の誓いを終えたしるしでした。ケンクレヤはコリントの東にある港町であり、帰路の出発地点でした。
2.適用
① 窮地の中でも神を信じて大胆に生きる
パウロは法廷に引き出されるという大きな危機に直面しました。しかしその状況の中で、異邦人である総督ガリオが結果的に彼を守る形となりました。
さらに、反対にユダヤ人側のソステネが打たれるという出来事が起こり、状況は大きく変わりました。パウロは結果としてローマ法の後ろ盾を得ることになり、神の計画が前進したのです。
しかもソステネ自身も、この苦難を通して後に信仰へと導かれました。
イエスもまた、何度も危機に直面されました。しかし人々が捕えようとしても、その時が来ていなかったために捕えることができませんでした(ヨハネ7:30)。石を投げられそうになったときも、主はその場を離れられました(ヨハネ8:59)。
さらに大祭司カヤパの「一人が民のために死ぬ方がよい」という言葉さえも、結果的には神の救いの計画を語る預言となりました。すべては神の計画の中で用いられていたのです。
② 教会の歩みにも神の計画がある
私たちの教会においても、困難や不足を感じることがあります。「人が足りない」「経済的に厳しい」といった現実に直面することもあるでしょう。
しかし重要なのは、「何を持っているか」ではなく、「誰が共におられるか」です。神が共におられるならば、どのようなピンチも勝利へと変えられます。
神は約束を守られるお方であり、私たちの状況の中で確かにご自身の計画を進めておられます。
3.まとめ
私たちも主のしもべとしての姿勢を崩さずに歩み続けましょう。たとえ困難や危機の中にあっても、神は共におられ、その中で確実にご自身の計画を進めておられます。


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