20250701早天祈祷会
聖書:使徒行伝18:23-28
題目:未熟な器
賛美:305、309
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
1.本文の理解:未熟でありながら用いられるアポロ
本箇所は、パウロの第三回伝道旅行の始まりと、アポロという人物の登場を記しています。
パウロはアンテオケに戻ってからしばらく滞在した後、再び旅に出ました。今回はガラテヤ州とフルギヤ州を巡り、すでに信じている弟子たちを力づけるための旅でした。
つまり、未信者への伝道というよりも、弟子訓練が主な目的であったのです。
ガラテヤでは、ピシディアのアンテオケ、イコニウム、ルステラ、デルベなどを訪れたと考えられます。フルギヤについては詳細は明確ではありませんが、コロサイ、ラオデキヤ、ヒエラポリスなどが含まれていた可能性があります。
この第三回伝道旅行の中心的な拠点はエペソでした。
そのエペソに、アレキサンドリア出身のユダヤ人アポロがやって来ました。
アレキサンドリアはアテネやタルソと並ぶ学問の中心地であり、アポロは聖書に精通し、雄弁で、会堂でイエスがメシアであることを力強く語っていました。
しかし彼には一つの限界がありました。
それは「ヨハネのバプテスマ」しか知らなかったということです。つまり、十字架と復活、そして聖霊の働きについては十分に理解していなかった、いわば「十字架以前の段階」にとどまっていたのです。
そのようなアポロに対して、プリスキラとアクラは彼を招き入れ、神の道をさらに正確に説明しました。
アポロはそれを素直に受け入れました。
その後、アポロはアカヤに渡ることを望み、兄弟たちは彼を励まし、推薦状を書いて送り出しました。彼はエペソを離れ、コリントへと向かい、すでに信じていた人々に大いに貢献しました。
やがて「アポロ派」が生まれるほど、影響力のある働きをするようになります。
2.適用:未熟な器を用いられる神
この箇所から、私たちは大切なことを学びます。
(1)神は未熟な器を用いられる
アポロはアレキサンドリアで訓練を受けた優れた雄弁家であり、すでにエペソで大きな働きをしていました。
しかし、彼はまだ聖霊のバプテスマについて十分に理解していませんでした。
その不足は、プリスキラとアクラを通して補われました。
神は人を通して人を整えられるのです。
ここで一つの問いが生まれます。
なぜアポロはエペソでの働きを続けず、コリントへ向かったのでしょうか。
パウロが来ることを知って働きを委ねたのかもしれませんし、自分の未熟さを覚えて場所を変えたのかもしれません。
また、推薦状を書いてもらったことから、コリントでの助けが必要であることを自覚していたとも考えられます。
いずれにしても、彼は自分の限界を受け入れ、さらに成長しながら用いられていったのです。
イエス様ご自身も、未熟な弟子たちを選んで伝道に用いられました。
ペテロが選ばれたのも、優秀だったからではありません。
未熟であっても、その心をご覧になり、訓練するために選ばれたのです。
そしてその結果、ペテロは世界宣教の中心的な働きを担う人物へと変えられていきました。
(2)私たちの教会も用いられる
これは私たちにも当てはまります。
神様が大阪中央教会を用いられるのは、私たちが優れているからではありません。
たとえ足りなさがあったとしても、その心を見て用いられるのです。
アポロも、ペテロも、パウロも、最初から完全だったわけではありません。
神はその人の心を見て用い、そして用いながら訓練していかれるのです。
また、高曜翰牧師の歩みも同じです。
イェスサラン教会でも、中央聖書教会でも、大阪中央教会でも、神様は同じように働いてこられました。
神様が私たちを用いられるのは、私たちを育てるためでもあります。
そして、私たちがアポロのように情熱をもって福音を語るとき、
神はプリスキラとアクラのように、必要な助け手を必ず与えてくださるのです。
3.まとめ
神様が私たちを用いられるのは、私たちが成熟し、完全だからではありません。
むしろ、未熟な私たちを用いながら育ててくださるお方です。
そのことを忘れず、
自分の不完全さにとらわれるのではなく、神に用いられることを信じて歩んでいきましょう。


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