20250703早天祈祷会
聖書:使徒19:8-12
題目:継続した奉仕
賛美:380、381
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
1.本文解説
(1)パウロの継続的な伝道
パウロはエペソの会堂に入り、三か月の間、大胆に神の国について語り、論じ、また勧めを行った。
当初、エペソの会堂にいたユダヤ人たちはパウロに好意的であり、迫害や裁判を受けることなく伝道を続けることができた。これはパウロの宣教の中でも最も長く安定して続いた期間であった。
彼のメッセージの中心は常に「神の国」であった。
しかし、長く続く議論の中で、人々は次第に飽き、ついには心をかたくなにして従わず、公の場でこの道を非難するようになった。
その結果、パウロはユダヤ人への伝道をここで一区切りとし、異邦人への伝道へと方向を転換した。
(2)ツラノの講堂での働き
パウロは会堂を離れ、弟子たちを引き連れてツラノの講堂へ移り、そこで毎日教え続けた。
パウロとユダヤ人信者たちは、ギリシャ人によって提供された新しい拠点へと移動したと考えられている。
一般的には、午前と夕方は仕事をし、午後の時間を用いて教えていたとも言われている。
このツラノでの働きは二年間続いた。
その結果、アジアに住むすべての人々、ユダヤ人もギリシャ人も、主の言葉を聞くに至った。
(3)神によって行われた奇跡
神はパウロの手を通して、驚くべき奇跡を行われた。
ここで重要なのは、パウロ自身に自由に使える癒しの力が与えられていたわけではないという点である。
パウロが自分の意思で奇跡を起こしていたのではなく、あくまで神が働かれたのである。
これらの奇跡は、パウロが語る福音のメッセージが真実であることを示す「しるし」であった。
具体的には、人々がパウロの身につけていた手ぬぐいや前掛けを病人に当てると、病気が癒され、悪霊が追い出された。
しかし、これらの物に特別な力が宿っていたわけではない。
これは神の力が明確に現れたことを示す証拠である。
当時のエペソは迷信や魔術が盛んであったため、このようなしるしが特に必要とされていた。
ここから分かることは、神を信じているからといって、私たち一人ひとりに不思議な力が与えられるわけではないということである。
神ご自身が私たちを通して働かれるのであり、奇跡が起こるかどうかは神の主権によって決まる。
2.適用
(1)継続的な奉仕の重要性
神が働かれるためには、私たちの継続的な奉仕が必要である。
神は、いきなり私たちに特別な力を与えるお方ではない。
なぜなら、人はその力を自分の努力や能力の結果だと考え、自分に栄光を帰してしまうからである。
神はそのことをよく知っておられるため、誰にでも奇跡の力を与えるわけではない。
神の主権のもとで、必要な時に、必要な形で働かれるのである。
(2)イエスの姿
イエスに奇跡の力が現れたのは、イエスが罪を犯されない方であったからである。
イエスは常に父なる神の主権のもとにあり、聖霊に従って奉仕されていた。
そして、その奇跡もまた、福音の正しさを証明するためのものであった。
したがって、奇跡や癒しそのものが目的ではない。
(3)大阪中央教会への適用
これは大阪中央教会にも当てはまる。
私たちもパウロのように、継続して奉仕する教会となるべきである。
自ら備えをし、福音を語り続けていく必要がある。
そして、神はご自身の時に、必要な力としるしを与えてくださる。
3.まとめ
私たちの教会は、奇跡そのものを求めるのではなく、
奉仕を通して神に用いられる器として整えられていこう。
そのとき、神ご自身が最もふさわしい方法で働いてくださるのである。


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