1.預言者アモス
① 北イスラエルに遣わされた預言者(紀元前760年頃)
アモスは南ユダ王国出身の人物であり、羊飼いであり、いちじくを栽培する農夫でした。
つまり、専門的な預言者ではなく、神によって召された一般の働き人でした。
当時はエリシャの時代以降、職業的な預言者たちが存在しており、同時代のヨナもその一人と考えられます。
しかしアモスはそうではなく、神に選ばれ、使命を託された存在でした。
彼が活動した時代は、北イスラエル王国が最も繁栄していた時期でした。
しかしその裏では、社会の不正や霊的堕落が深刻に進んでいました。
アモスは低い身分でありながら、王や祭司に対しても恐れることなく神の言葉を語りました。
それは、彼の中に神への従順な心と、正義を愛する心があったからです。
神はその心をご覧になり、彼を召されたと考えられます。
② アモスのメッセージの中心
(1)形式的な礼拝の否定
神はイスラエルの礼拝についてこう語られました。
いけにえも賛美も喜ばない、それらはむしろ忌み嫌うものであると。
これは、外側だけ整った宗教行為を神が受け入れないことを意味します。
神が求めておられるのは、形式ではなく、正義と公正に生きることです。
(2)社会的不正への厳しい告発
アモスは、権力者や富裕層による不正を厳しく非難しました。
弱い立場の人々が踏みにじられている現実を、神は見過ごされません。
聖書の歴史においても、ソドムとゴモラ、またイスラエルを圧迫したエジプトのように、
不正と悪に満ちた社会には神の裁きが下されてきました。
(3)神の裁きの宣告
イスラエルは、エジプトから救い出されたにもかかわらず、再び偶像礼拝に戻っていました。
その結果、神の怒りが臨み、国が滅ぼされることが警告されました。
③ アッシリアとの対比
神は北イスラエル出身のヨナを、異邦人の町ニネベに遣わしました。
ヨナはアッシリアが救われることを望まず逃げましたが、ニネベの人々は悔い改め、神に受け入れられました。
ここには神の憐れみが表されています。
一方、神は南ユダ出身のアモスを北イスラエルに遣わしました。
アモスは迫害を受けながらも語り続けましたが、イスラエルは悔い改めませんでした。
その結果、アッシリアによって滅ぼされることになります。
つまり、
-
ヨナはアッシリアに神の憐れみを示し
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アモスはイスラエルに神の義を示したのです
2.適用
① 神が求めておられるものは何か
救いは血筋や立場によるものではなく、信仰が行動として現れるかどうかによります。
異邦人であったアッシリアの人々は、悔い改めという行動によって神に受け入れられました。
一方で、神の民であるはずのイスラエルは、行動を伴わないために滅びました。
「自分は選ばれた民だから大丈夫」という考えは非常に危険です。
神はえこひいきをされる方ではなく、正義と公平を愛される方だからです。
② 正義と公平を行う者となる
聖書はこう語ります。
「公道を水のように、正義を絶えず流れる川のようにせよ。」(アモス5:24)
これは、人を裁くことを勧めているのではありません。
憐れみと赦しの心を持ちながら、同時に正義を愛する心を持つことが求められています。
その心こそ、父なる神が私たちに持ってほしいと願っておられるものです。
3.結び
たとえ私たちが多くのものを持っていなくても、
アモスのように正義を愛する心を持つことはできます。
その心をもって神の言葉を語るとき、神はそれを喜ばれます。
私たちも、正義と公平を愛する者として生き、
神に喜ばれる者となりましょう。
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